第1回研究大会概要(2日目)
2日目の第一報告(李榮眞「朝鮮人特攻隊員という問い」)では、朝鮮人特攻隊員に関する書物やその慰霊をめぐる動きを検証しながら、彼らが「記憶」あるいは「忘却」されることの背後にあるさまざまな社会的力学、および、そこにおける日本と韓国の相違について、議論された。
続く第二報告(山本昭宏「戦後日本における自然科学者の核エネルギー認識」)では、科学専門誌『自然』における「核」言説の変容を跡付けながら、GHQによる占領や第五福竜丸事件、平和運動の影響がそこにどう関わっていたのか、戦時期日本の原爆開発(ニ号研究、F号研究)や被爆体験がいかに想起あるいは忘却されたのかといった点について、考察がなされた。
これら両報告に対して、フロアーからは、言説変容の駆動因や議論の布置を析出するための分析軸(戦時期の体験や戦争協力をめぐる悔恨の有無など)をめぐって、活発な討議がなされたほか、「ナショナル」な枠を超えることで「記憶」を捉え返すことの意義についても、議論がなされた。
私自身は、二日間の研究会発表をとおして、従来の「正しさ」を相対化したり、それだけでは捕捉し得ない多様な知的営みについて、多くの刺激を得ることができた。同時に、「戦争社会学」という学問領域のオリジナリティについて、今後議論を重ねていくことの必要性も感じた次第である。戦史研究,社会運動論,戦争責任論といった近接領域との差別化に拘泥することは避けるべきだろうが、「戦争社会学」がいかなる方法論を持ち、それによって何を浮き彫りにできるのかといったことは、われわれに課された今後の課題ではないだろうか。(福間良明)