戦争社会学研究会の第7回研究大会が埼玉大学にて開催され、二日間を通して計60名近くの方が参加する盛会となりました。参加者も社会学、歴史学、宗教学など他分野にわたり、修士課程の大学院生や社会人の方の参加も多数見られました。
◎4/23(土)大会一日目
〈個人報告〉
山本昭宏氏の司会で2名の個人報告が行われました。一番手の須藤遼氏は、日露戦争軍役夫について報告されました。二番手の趙誠倫氏は、マーシャル諸島における日本人兵士と朝鮮人軍夫との関係について報告されました。いずれの報告も1時間という潤沢な報告時間のなかで有意義な議論が交わされました。
〈シンポジウム: ポスト「戦後70年」と戦争社会学の新展開」〉
福間良明氏の司会で戦争社会学の新展開に関するシンポジウムが開かれました。
第一報告者の好井裕明氏は、被爆や戦争に関する言説のマンネリ化に対して危機感を示した上で、戦争に関する映画を幅広く取り上げ、日常生活場面における緩やかな娯楽のなかで「戦争を反芻し反省すること」の持つ可能性について提起されました。
第二報告者の井上義和氏は、自己啓発などの文脈と結びついた特攻受容という戦争の記憶の現代的状況について取り上げ、記憶の継承とは異なる「遺志の継承」という新たな理解の枠組みについて提示されました。そして、歴史認識の立場の隔たりが大きくなるなかで、異なる立場をつなぐような研究の必要性について提起されました。
第三報告者の野上元氏は、戦争・軍事が重要な社会問題として認識されているアメリカの状況と、そうした状況に関する最新の研究動向について紹介されました。そして、日本においても戦争=第二次大戦という見方を相対化し、個々の研究を戦争・軍事をめぐる現在の問題へとつなげていく必要性について提起されました。
以上の報告に対して、コメンテータの蘭信三氏からは戦争をめぐる世代の差異に関する問題提起が、西村明氏からは戦争理解のアップデートとして宗教体験論に関する問題提起が投げかけられました。それに対するリプライの後、フロアからも個別の報告や戦争研究の今後の展開にする活発な議論が展開されました。
議論の熱も冷めやらぬまま、総会を挟んで開かれた懇親会には30名を超える参加者が集い大盛況となりました。新入会員の自己紹介なども行われ、若い院生も多数参加して賑やかな宴となりました。
◎4/24(日)大会二日目
〈個人報告〉
一ノ瀬俊也氏の司会で3名の個人報告が行われました。一番手の中山郁氏は、戦争末期に戦地における遺骨還送・慰霊体制が崩壊していく過程について報告されました。二番手の松岡勲氏は、靖国神社の遺児参拝について、京都市の事例に基づきながら報告されました。三番手の清水亮氏は、下宿・倶楽部という場において軍隊が受容されていく過程について報告されました。いずれの報告に対してもフロアから活発な議論が寄せられ、今後の展開に向けた示唆が示されました。
〈テーマセッション: 「空襲の記憶」の境界――時間・空間・学問を越境して〉
柳原伸洋氏の司会で「空襲」に関するテーマセッションが開かれました。
第一報告者の長志珠絵氏は、戦後日本社会における空襲のイメージと空襲市民運動について踏まえながら、「記憶」という視点から日本における防空研究と空襲研究を捉え直し、占領という時間や帝国という空間のなかで空襲の問題を考える重要性について報告されました。
第二報告者の鎌田真弓氏は、戦勝国であるオーストラリアにおけるダーウィン空襲の記憶が、「国防の最前線」として位置づけられ、国民国家とむすびついていく歴史的な過程とその現況について、モニュメントや追悼式典の事例に基づきながら報告されました。
以上の報告に対して、コメンテータの木戸衛一氏によるドイツの軍事化と空襲の記憶についての報告、西村明氏による福岡空襲と地域の記憶についての報告、木村豊氏による東京大空襲と広島原爆の比較についての報告と、それぞれの立場から報告者への問いかけがなされました。
その後フロアを交えて、空襲研究が戦争をめぐる諸研究とどのようにつながっていくのかといった空襲研究の可能性をめぐって議論は白熱し、1時間余りの延長を経て閉会となりました。