戦争社会学研究会・関西例会
■開催日時:10月19日(土)・13時〜
■開催場所:関西大学社会学部5階、D501教室 (千里山キャンパス)
交通アクセス:http://www.kansai-u.ac.jp/global/guide/access.html
キャンパスマップ:http://www.kansai-u.ac.jp/global/guide/mapsenri.html (社会学部は第3学舎です)
■例会テーマ:戦跡と観光の社会学
報告者:山本昭宏(神戸市外国語大学)・山口誠(関西大学) 討論者:木村至聖(甲南女子大学)・野上元(筑波大学) 司会者:福間良明(立命館大学)
戦跡という「メディア」は、ときに「戦争」に深い関心を有しない層にも「記憶」を紡いでいくメディアである。広島や長崎、沖縄の戦争遺産が観光地にもなっていることを思い起こせば、そのことは明瞭であろう。
だが、戦跡観光は来訪者に「記憶」を伝える一方、地域の「記憶」を塗り替えていくことも珍しくない。観光者の「期待」を内面化しながら、自らの「戦争の記憶」を構築し、それを観光者たちが「愉しむ」という、観光者と地域の相互作用は、しばしば見られるものではないだろうか。 こうした問題関心を念頭に置きながら、例会では、「特攻の町、知覧」に注目する。
現在、知覧町にある知覧特攻平和会館は、「特攻の記憶」を世界記憶遺産に登録しようと活動中である。「特攻の町、知覧」がどのように形成され、それが観光地となる過程でマスメディアや平和会館がどのような役割を果たしたのか。観光に訪れる人びとは何を知覧に期待したのか。これらに注目して、報告を行う。
戦争社会学研究会・関東例会
日時:2013年7月7日(日)14:00-
場所:慶應義塾大学三田キャンパス・大学院棟1階313教室 戦争社会学と<調査>
報告者:木村豊(慶應義塾大学大学院)・深谷直弘(法政大学大学院)
司会:塚田修一(東京都市大学非常勤講師)
討論者:好井裕明(日本大学)、柳原伸洋(東海大学)
戦争を社会学的に研究する際のアプローチの多様さとその可能性の豊かさに関しては、『戦争社会学ブックガイド』(創元社・2012)およびこれまでの大会においても模索・議論されてきた。
それらをゆるやかに踏襲しつつ、本例会においては、戦争社会学と<調査>を再考したい。とは言っても、調査の方法論や精緻さをあれこれ議論するのではなく、もっとパフォーマティヴに<調査>について考え、戦争社会学の可能性を引き出してみたいと考えている。
今回は、先頃上梓された『被爆者調査を読む』(慶應義塾大学出版会・2013)に寄稿していらっしゃる木村豊氏と深谷直弘氏をお招きする。木村氏は東京大空襲を、深谷氏は長崎をフィールドに、主にインタビュー調査によるお仕事を積み重ねてこられた。だが、同書の中で、お二人はそれらとは質の異なる調査資料に出会われ、また異なる調査記述をなさっている。そこでは、いかなる可能性(あるいは不可能性)を感じられたのか、語っていただく。
討論者として、日本の社会学における質的調査をリードしてこられた好井裕明氏と、実証的な歴史学からサブカルチャーに至るまで幅広い領域で研究をなさっている柳原伸洋氏をお迎えする。
戦争社会学研究会 第4回研究プログラム
≫PDFファイルでもご覧になれます。第四回研究大会プログラム
2013年3月9日(土)
■研究報告1(12:30-13:45)
「1950年代の靖国神社遺児参拝の実像を探る」
報告:松岡 勲(立命館大学非常勤講師)
司会:福間良明(立命館大学)
要旨:
靖国合祀取消訴訟高裁結審の直前の2010年6月に、私は中学校3年生時(1958年)の靖国神社遺児参拝文集「靖国の父を訪ねて(第12集)」を私の書架から再発見した。そこには私の文章「もう一度行こう靖国へ」があり、「私はなんとなく父は立派な死に方をしたのだなあと思った」とあった。「これが当時の私の認識だったのか?」と愕然とし、当時の私は戦後版の「少国民」だったことに気づいたのだった。
そこから「1950年代の靖国神社遺児参拝の実像」を調べることを始めた。大阪府の遺児参拝は、1952年に「講和発効記念事業の一つとして」始まり、この後、1959年の第14回まで続いた。参拝は初年度の春秋2回の約540名から始まり、年1回の参拝になった1958年には1度に1000名近くも参加している。また、この遺児参拝は『靖国の父を訪ねて』という同一のタイトルの参拝文集が全国に残っていて、1950年代に全国的に同一歩調で行われたことが分かる。報告はその実像を中心に「靖国文集」(第12集)で発見した「国家の嘘を見破った少女」についても触れたいと考えている。
>>PDFファイルでもご覧になれます。第3回大会プログラム
2012年3月10日(土)
■研究報告1(12:30-14:00)
報告:亘 明志(長崎ウエスレヤン大学)
テーマ:「戦時朝鮮人強制動員と統治合理性」
要旨:
戦時強制労働に関心を持つ人たちの間では、しばしば「炭鉱では食べ物も十分与えず、過酷な労働を強要し、徴用された鉱夫が死んでも葬式もせず、死体を山野に埋めた」ということが当然の前提のように語られてきた面がある。ところが、北海道で収集された炭鉱・鉱山企業の資料からは、一定の食糧の確保や死者の葬儀、遺骨の遺族への返還に努めていた面もうかがわれる。また、福岡県の炭鉱で死亡した朝鮮人労働者の遺骨の多くが、企業によって遺族のもとに届けられていることも確認されつつある。これらの事実を踏まえると、植民地動員は天皇制イデオロギーの貫徹や強権的な国家権力の行使とだけ捉えるのは妥当ではなく、「統治合理性(フーコー)」という観点からの捉えなおしが必要なのではないか。
また、日本の近代化過程の中に戦時植民地動員を位置づけるためには、戦争遂行としての強制動員の実態解明とともに、それがいかなる動員計画のもとに実施されたかを検討し、計画と実態の齟齬を解明する必要がある。1)「(植民地動員を含む)国家総動員計画」はどのようにして策定されたか、2)「総動員体制」下での動員組織(機構)の形成とその整備・運営はどのようになされたか、3)動員法の体系化とその施行を通して動員はどのようになされたか。これらの点について「統治合理性」の観点からの分析・解明を試みたい。
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戦争社会学研究会 第2回研究大会プログラム
このプログラムはキャンパスマップなどを含めたPDF版でダウンロードできます。 (さらに…)
戦争社会学研究会第2回研究大会が、来る3月12日(土)、13日(日)に、立命館大学にて開催されます。
詳細が決まりましたので、ご報告させていただきます。
皆様のふるってのご参加をお願い申し上げます。 (さらに…)
2日目の第一報告(李榮眞「朝鮮人特攻隊員という問い」)では、朝鮮人特攻隊員に関する書物やその慰霊をめぐる動きを検証しながら、彼らが「記憶」あるいは「忘却」されることの背後にあるさまざまな社会的力学、および、そこにおける日本と韓国の相違について、議論された。
続く第二報告(山本昭宏「戦後日本における自然科学者の核エネルギー認識」)では、科学専門誌『自然』における「核」言説の変容を跡付けながら、GHQによる占領や第五福竜丸事件、平和運動の影響がそこにどう関わっていたのか、戦時期日本の原爆開発(ニ号研究、F号研究)や被爆体験がいかに想起あるいは忘却されたのかといった点について、考察がなされた。 (さらに…)
第一報告の坪田報告では、ある戦後補償訴訟の現場で、「和解」を取り持とうとした「良心的な日本人」がなしてしまう無防備な「加害性」について論じられた。具体的には、和解条項における「但し書き」の付与について、原告側日本人弁護団が原告に対して持ってしまった権力性についての検討である。興味深かったのは、表明された状況認識においては、原告と被告とはむしろ一致していたのにもかかわらず(つまりお互いにとって争点は明確であったのに)、弁護団のそれは一致しなかったということである。本報告は、「和解」の自己目的化がはまりこんでしまう陥穽を浮かび上がらせてくれた。
第二報告の粟津報告は、沖縄における遺骨収集の試みの現在を、モノとしての遺骨が張りめぐらす集合的記憶の孕む静かな(?)緊張において読み解こうとする試みであった。遺骨収集に関して、厚生省による「概了」表明後も続けられている市民主体の作業は、大文字の政治では回収することのできない、日常に根ざした善意による「(敵味方のない)人間的な」水準において行われている。モノとしての骨が作動させてしまう独特の水準だと思われるが、報告では、それを構成している様々な語りを、印象的な映像を交えながら浮かび上がらせてくれた。 (さらに…)
戦争社会学研究会の第一回研究大会が以下の要領にて開催されます。
参加をご希望の方は事務局までお知らせください。
運営委員宛メールフォームはこちら。
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