<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>戦争社会学研究会</title>
	<atom:link href="http://scholars-net.com/ssw/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://scholars-net.com/ssw</link>
	<description>Society for Sociology of Warfare</description>
	<lastBuildDate>Wed, 01 Feb 2012 03:50:52 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3.2</generator>
		<item>
		<title>戦争社会学研究会　第3回研究大会プログラム</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/67</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/67#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 01 Feb 2012 03:49:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究大会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=67</guid>
		<description><![CDATA[＞＞PDFファイルでもご覧になれます。第3回大会プログラム 2012年3月10日（土） ■研究報告1（12：30-14：00） 報告：亘 明志（長崎ウエスレヤン大学） テーマ：「戦時朝鮮人強制動員と統治合理性」 要旨： 　戦時強制労働に関心を持つ人たちの間では、しばしば「炭鉱では食べ物も十分与えず、過酷な労働を強要し、徴用された鉱夫が死んでも葬式もせず、死体を山野に埋めた」ということが当然の前提のように語られてきた面がある。ところが、北海道で収集された炭鉱・鉱山企業の資料からは、一定の食糧の確保や死者の葬儀、遺骨の遺族への返還に努めていた面もうかがわれる。また、福岡県の炭鉱で死亡した朝鮮人労働者の遺骨の多くが、企業によって遺族のもとに届けられていることも確認されつつある。これらの事実を踏まえると、植民地動員は天皇制イデオロギーの貫徹や強権的な国家権力の行使とだけ捉えるのは妥当ではなく、「統治合理性（フーコー）」という観点からの捉えなおしが必要なのではないか。 また、日本の近代化過程の中に戦時植民地動員を位置づけるためには、戦争遂行としての強制動員の実態解明とともに、それがいかなる動員計画のもとに実施されたかを検討し、計画と実態の齟齬を解明する必要がある。1)「（植民地動員を含む）国家総動員計画」はどのようにして策定されたか、2)「総動員体制」下での動員組織（機構）の形成とその整備・運営はどのようになされたか、3)動員法の体系化とその施行を通して動員はどのようになされたか。これらの点について「統治合理性」の観点からの分析・解明を試みたい。 司会：打越 正行（首都大学東京） ■休憩（14：00-14：15） ■シンポジウム（14：15-17：15） 報告： 高橋 三郎 吉田 裕（一橋大学） テーマ：「『戦争』研究の視角――社会学と歴史学の交差」 要旨： 「戦争」をめぐる研究は、社会学でも一定の蓄積がなされつつある。だが、同時に歴史学に学ぶところも多かった。では、社会学と歴史学をどのように交差させていけばよいのか。 　本シンポジウムでは、『「戦記もの」を読む』（1988年）・『強制収容所における「生」』（2000年）・『共同研究 戦友会』（1983年）など、社会学において戦争体験研究を牽引してきた高橋三郎氏と、『日本人の戦争観』（1995年）・『兵士たちの戦後史』（2011年）などで社会学にも影響を与えた歴史学者・吉田裕氏にご報告いただき、ご自身の研究史や周辺領域のディシプリンをどのように位置づけこられたのか等について、語っていただく。 　それに対し、『決死の世代と遺書』（1991年）・『若き特攻隊員と太平洋戦争』（1995年）等で戦争体験研究を進めてきた森岡清美氏、『「満州移民」の歴史社会学』（1994年）等、「満州移民」研究の蓄積が厚い蘭信三氏、『「戦争体験」の社会学』（2006年）などで新たな戦争体験研究を拓いた野上元氏に、コメンテーターや司会を務めていただく。 　研究者の世代をまたぎながら、「戦争」研究における社会学と歴史学の交差を、討議を通じて考察していきたい。 コメント： 森岡 清美 蘭 信三（上智大学） 司会：野上 元（筑波大学） ■総会（17：30-18：15） ■懇親会（18：30-） 3月11日（日） ■研究報告2（10：30-12：00） 報告：直野 章子（九州大学） テーマ：「被ばくと『受忍』――戦後補償の歴史から原発事故を考える」 要旨： 　2011年３月11日に起こった大震災をアジア太平洋戦争と比較する論評は数多いが、特に、原発事故に関する責任を戦争責任と重ね合わせて論じるものが少なくない。実際に、東電福島第一原子力発電所事故の問題は、戦後補償の問題と通底する。本発表では、「受忍」を中心概念としつつ、戦後補償の歴史から、現在作られつつある原発事故に対する補償制度の問題点を考えていきたい。 　戦争被害に関しては、「非常事態」だったからという理由で、財産損失も身体被害や生命損失も一様に「受忍すべし」と国家が命じて「耐え忍ぶべき被害」が戦後に作り出されてきた。原発事故では、「非常時」を理由に、作業者が高線量の被曝を余儀なくされ、周辺住民が不要な被曝を強いられた。健康被害が生じたとしても、厳しく放射線起因性を問うことで事故との因果関係を否定し、「放射能恐怖症」として国や東電が補償を拒否する可能性も高い。他方で、事故を起こした責任者たちは、国家の援助によって保護されかねない。戦争に対して最も責任がある高級軍人に対しては手厚い援護をしながら、非戦闘員には被害の受忍を強い続けてきた戦後補償の歴史が繰り返される可能性が高いのだ。 司会：青木 秀男（社会理論・動態研究所） ■昼食・休憩（12：00-13：00） ■ワークショップ（13：00-15：30） テーマ：「戦争社会学をいかに構想するか～「戦争社会学ブックガイド」をめぐって」 要旨： 　「戦争」に関する研究は、従来、政治学や歴史学で多く扱われてきたが、社会学の方面でも、この種の関心が高まっている。本研究会も、こうした学問動向のなかで発足した。 　しかし、その方法論や分析手法は、メディア研究から言説分析、システム論、ライフ・ヒストリー研究等、多岐にわたる。それだけに、方法論の共有化はさほど進んでおらず、むしろ専門分化が進行しているようにも思える。 　そこで、本ワークショップでは、野上元・福間良明編『戦争社会学ブックガイド』（創元社、2012年3月刊行予定）を取り上げながら、 ・「戦争社会学」をいかに構想できるのか ・歴史学、思想史研究等、近接分野との関係をどう位置付けることができるのか といった点について、議論を進めたい。 コメント： ... <a href="http://scholars-net.com/ssw/archives/67" title="戦争社会学研究会　第3回研究大会プログラム"> more &#187; </a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">＞＞PDFファイルでもご覧になれます。<a href='http://scholars-net.com/ssw/wp-content/uploads/第3回大会プログラム.pdf'>第3回大会プログラム</a></p>
<p style="text-align: left;"><strong>2012年3月10日（土）</strong></p>
<p>■研究報告1（12：30-14：00）<br />
報告：亘 明志（長崎ウエスレヤン大学）<br />
テーマ：「戦時朝鮮人強制動員と統治合理性」<br />
要旨：<br />
　戦時強制労働に関心を持つ人たちの間では、しばしば「炭鉱では食べ物も十分与えず、過酷な労働を強要し、徴用された鉱夫が死んでも葬式もせず、死体を山野に埋めた」ということが当然の前提のように語られてきた面がある。ところが、北海道で収集された炭鉱・鉱山企業の資料からは、一定の食糧の確保や死者の葬儀、遺骨の遺族への返還に努めていた面もうかがわれる。また、福岡県の炭鉱で死亡した朝鮮人労働者の遺骨の多くが、企業によって遺族のもとに届けられていることも確認されつつある。これらの事実を踏まえると、植民地動員は天皇制イデオロギーの貫徹や強権的な国家権力の行使とだけ捉えるのは妥当ではなく、「統治合理性（フーコー）」という観点からの捉えなおしが必要なのではないか。<br />
また、日本の近代化過程の中に戦時植民地動員を位置づけるためには、戦争遂行としての強制動員の実態解明とともに、それがいかなる動員計画のもとに実施されたかを検討し、計画と実態の齟齬を解明する必要がある。1)「（植民地動員を含む）国家総動員計画」はどのようにして策定されたか、2)「総動員体制」下での動員組織（機構）の形成とその整備・運営はどのようになされたか、3)動員法の体系化とその施行を通して動員はどのようになされたか。これらの点について「統治合理性」の観点からの分析・解明を試みたい。<br />
<span id="more-67"></span><br />
司会：打越 正行（首都大学東京）</p>
<p>■休憩（14：00-14：15）</p>
<p>■シンポジウム（14：15-17：15）<br />
報告：<br />
高橋 三郎<br />
吉田 裕（一橋大学）<br />
テーマ：「『戦争』研究の視角――社会学と歴史学の交差」<br />
要旨：<br />
「戦争」をめぐる研究は、社会学でも一定の蓄積がなされつつある。だが、同時に歴史学に学ぶところも多かった。では、社会学と歴史学をどのように交差させていけばよいのか。<br />
　本シンポジウムでは、『「戦記もの」を読む』（1988年）・『強制収容所における「生」』（2000年）・『共同研究 戦友会』（1983年）など、社会学において戦争体験研究を牽引してきた高橋三郎氏と、『日本人の戦争観』（1995年）・『兵士たちの戦後史』（2011年）などで社会学にも影響を与えた歴史学者・吉田裕氏にご報告いただき、ご自身の研究史や周辺領域のディシプリンをどのように位置づけこられたのか等について、語っていただく。<br />
　それに対し、『決死の世代と遺書』（1991年）・『若き特攻隊員と太平洋戦争』（1995年）等で戦争体験研究を進めてきた森岡清美氏、『「満州移民」の歴史社会学』（1994年）等、「満州移民」研究の蓄積が厚い蘭信三氏、『「戦争体験」の社会学』（2006年）などで新たな戦争体験研究を拓いた野上元氏に、コメンテーターや司会を務めていただく。<br />
　研究者の世代をまたぎながら、「戦争」研究における社会学と歴史学の交差を、討議を通じて考察していきたい。</p>
<p>コメント：<br />
森岡 清美<br />
蘭 信三（上智大学）<br />
司会：野上 元（筑波大学）</p>
<p>■総会（17：30-18：15）</p>
<p>■懇親会（18：30-）</p>
<p><strong>3月11日（日）</strong></p>
<p>■研究報告2（10：30-12：00）<br />
報告：直野 章子（九州大学）<br />
テーマ：「被ばくと『受忍』――戦後補償の歴史から原発事故を考える」<br />
要旨：<br />
　2011年３月11日に起こった大震災をアジア太平洋戦争と比較する論評は数多いが、特に、原発事故に関する責任を戦争責任と重ね合わせて論じるものが少なくない。実際に、東電福島第一原子力発電所事故の問題は、戦後補償の問題と通底する。本発表では、「受忍」を中心概念としつつ、戦後補償の歴史から、現在作られつつある原発事故に対する補償制度の問題点を考えていきたい。<br />
　戦争被害に関しては、「非常事態」だったからという理由で、財産損失も身体被害や生命損失も一様に「受忍すべし」と国家が命じて「耐え忍ぶべき被害」が戦後に作り出されてきた。原発事故では、「非常時」を理由に、作業者が高線量の被曝を余儀なくされ、周辺住民が不要な被曝を強いられた。健康被害が生じたとしても、厳しく放射線起因性を問うことで事故との因果関係を否定し、「放射能恐怖症」として国や東電が補償を拒否する可能性も高い。他方で、事故を起こした責任者たちは、国家の援助によって保護されかねない。戦争に対して最も責任がある高級軍人に対しては手厚い援護をしながら、非戦闘員には被害の受忍を強い続けてきた戦後補償の歴史が繰り返される可能性が高いのだ。</p>
<p>司会：青木 秀男（社会理論・動態研究所）</p>
<p>■昼食・休憩（12：00-13：00）</p>
<p>■ワークショップ（13：00-15：30）<br />
テーマ：「戦争社会学をいかに構想するか～「戦争社会学ブックガイド」をめぐって」<br />
要旨：<br />
　「戦争」に関する研究は、従来、政治学や歴史学で多く扱われてきたが、社会学の方面でも、この種の関心が高まっている。本研究会も、こうした学問動向のなかで発足した。<br />
　しかし、その方法論や分析手法は、メディア研究から言説分析、システム論、ライフ・ヒストリー研究等、多岐にわたる。それだけに、方法論の共有化はさほど進んでおらず、むしろ専門分化が進行しているようにも思える。<br />
　そこで、本ワークショップでは、野上元・福間良明編『戦争社会学ブックガイド』（創元社、2012年3月刊行予定）を取り上げながら、<br />
・「戦争社会学」をいかに構想できるのか<br />
・歴史学、思想史研究等、近接分野との関係をどう位置付けることができるのか<br />
といった点について、議論を進めたい。</p>
<p>コメント：<br />
一ノ瀬 俊也（埼玉大学）<br />
木村 至聖（甲南女子大学）<br />
応答：<br />
野上 元（筑波大学）<br />
福間 良明（立命館大学）<br />
司会：石原 俊（明治学院大学）</p>
<p>※　発表に際し、パワーポイントをご使用の場合は、ノートPCをご持参ください。<br />
DVDも使用可能です。<br />
※　場合によって多少の変更の可能性があります。</p>
<p>会場<br />
〒112-0012　東京都文京区大塚3-29-1<br />
筑波大学東京キャンパス文京校舎　117講義室</p>
<p>筑波大学　東京キャンパス文京校舎へのアクセス・路線図<br />
・電車でのアクセス<br />
丸ノ内線茗荷谷（みょうがだに）駅下車「出口１」徒歩２分程度<br />
※　詳しくは、以下のキャンパスマップおよびアクセスマップをご参照ください。</p>
<p><a href="http://www.tsukuba.ac.jp/access/bunkyo_access.html">http://www.tsukuba.ac.jp/access/bunkyo_access.html</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/67/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>戦争社会学研究会　第２回研究大会　プログラム</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/25</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/25#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 05 Feb 2011 12:58:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究大会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=25</guid>
		<description><![CDATA[戦争社会学研究会　第２回研究大会プログラム このプログラムはキャンパスマップなどを含めたPDF版でダウンロードできます。 2011年 3月12日（土） 　　研究報告 1. 木下直子（九州大学） 　午後1時00分〜2時15分 「被害者性をめぐる機制――日本人「慰安婦」排除の実践について」 本報告では、＜「慰安婦」問題＞が社会問題化する中で、日本人「慰安婦」 がいかに「被害者」の位置から排除されてきたかイデオロギー作用の観点か ら考察する。主に1991-1993年の朝日新聞記事と雑誌記事を中心とした資 料を扱う。 2. 水越紀子（社会理論・動態研究所） 　午後2時30分〜3時45分 「戦時下の女性の性――広島における明治期の新聞記事を素材として」 広島県の軍事都市化政策は日清戦争開戦によって本格化した。政府の顕官、 出征兵士たちのほか軍需物資の調達輸送などが集中し、人口・物の往来が頻 繁となり軍事都市として隆盛した。それと同時に拡大したのが遊郭であった。 本報告では明治期の新聞記事から遊郭の「娼妓」たちの生活を掬い取り、戦 争と性の問題について考察する。 3. 石原昌家（沖縄国際大学） 　午後4時00分〜5時15分 「いま、問われる戦争体験の継承」 二度と戦争を起こさないために」と説得して、膨大な戦争体験の証言やその 研究が集積されてきた。しかし、戦争の悲惨さ・平和の尊さを伝えるだけで は、戦争への道を阻むことはできなかった。戦争が起きるメカニズムを研究 して、それを共有することもできなかった。戦争の悲惨さを知れば知るほど、 二度とそのような目に遭わないために、強力な軍備が必要だという観念が生 まれている。つまり、非武装･非軍事による平和ではなく、軍事による平和 維持という「好戦的」風潮が形成されてしまった。その原因と課題を報告し たい。 司会　粟津賢太（南山宗教文化研究所）　 懇親会　　　　　　　　　　　　　　　　 　 午後6時00分〜8時00分　 3月13日（日） 研究報告 1. 長谷川一（京都府立大学） 　午前9時00分〜10時15分 「日中戦争下における兵士像の一考察―─戦争文学を中心に」（仮） 日中戦争下、戦争文学が社会に与えた影響は非常に大きい。本報告は、戦争 文学を分析することで、当時の社会に提供された兵士像、または戦争像がど のようなものであったかを明らかにする。 2. 安岡健一（日本学術振興会／大阪大学） 　午前10時30分〜11時45分　　　 「『国民』であることをめぐる闘争――戦後地域社会（京都）における引揚者運 動を事例に」 総力戦体制下における「強制的平準化」をつうじた国民統合の達成は、今日 の歴史研究において過大評価されているのではないだろうか。この疑問が本 報告の出発点である。本報告では、敗戦直後京都地域における引揚者による ... <a href="http://scholars-net.com/ssw/archives/25" title="戦争社会学研究会　第２回研究大会　プログラム"> more &#187; </a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote><p>戦争社会学研究会　第２回研究大会プログラム</p>
<p>このプログラムはキャンパスマップなどを含めたPDF版でダウンロードできます。<a href="http://scholars-net.com/ssw/wp-content/uploads/2nd_conf_2011.pdf"><img class="alignnone size-full wp-image-32" title="pdf" src="http://scholars-net.com/ssw/wp-content/uploads/pdf.gif" alt="" width="24" height="24" /></a><span id="more-25"></span></p>
<p>2011年<br />
3月12日（土）<br />
　　研究報告<br />
1. 木下直子（九州大学） 　午後1時00分〜2時15分<br />
「被害者性をめぐる機制――日本人「慰安婦」排除の実践について」<br />
本報告では、＜「慰安婦」問題＞が社会問題化する中で、日本人「慰安婦」<br />
がいかに「被害者」の位置から排除されてきたかイデオロギー作用の観点か<br />
ら考察する。主に1991-1993年の朝日新聞記事と雑誌記事を中心とした資<br />
料を扱う。</p>
<p>2. 水越紀子（社会理論・動態研究所） 　午後2時30分〜3時45分<br />
「戦時下の女性の性――広島における明治期の新聞記事を素材として」<br />
広島県の軍事都市化政策は日清戦争開戦によって本格化した。政府の顕官、<br />
出征兵士たちのほか軍需物資の調達輸送などが集中し、人口・物の往来が頻<br />
繁となり軍事都市として隆盛した。それと同時に拡大したのが遊郭であった。<br />
本報告では明治期の新聞記事から遊郭の「娼妓」たちの生活を掬い取り、戦<br />
争と性の問題について考察する。</p>
<p>3. 石原昌家（沖縄国際大学） 　午後4時00分〜5時15分<br />
「いま、問われる戦争体験の継承」<br />
二度と戦争を起こさないために」と説得して、膨大な戦争体験の証言やその<br />
研究が集積されてきた。しかし、戦争の悲惨さ・平和の尊さを伝えるだけで<br />
は、戦争への道を阻むことはできなかった。戦争が起きるメカニズムを研究<br />
して、それを共有することもできなかった。戦争の悲惨さを知れば知るほど、<br />
二度とそのような目に遭わないために、強力な軍備が必要だという観念が生<br />
まれている。つまり、非武装･非軍事による平和ではなく、軍事による平和<br />
維持という「好戦的」風潮が形成されてしまった。その原因と課題を報告し<br />
たい。</p>
<p>司会　粟津賢太（南山宗教文化研究所）　</p>
<p>懇親会　　　　　　　　　　　　　　　　 　 午後6時00分〜8時00分　</p>
<p>3月13日（日）<br />
研究報告<br />
1. 長谷川一（京都府立大学） 　午前9時00分〜10時15分<br />
「日中戦争下における兵士像の一考察―─戦争文学を中心に」（仮）<br />
日中戦争下、戦争文学が社会に与えた影響は非常に大きい。本報告は、戦争<br />
文学を分析することで、当時の社会に提供された兵士像、または戦争像がど<br />
のようなものであったかを明らかにする。</p>
<p>2. 安岡健一（日本学術振興会／大阪大学） 　午前10時30分〜11時45分　　　<br />
「『国民』であることをめぐる闘争――戦後地域社会（京都）における引揚者運<br />
動を事例に」<br />
総力戦体制下における「強制的平準化」をつうじた国民統合の達成は、今日<br />
の歴史研究において過大評価されているのではないだろうか。この疑問が本<br />
報告の出発点である。本報告では、敗戦直後京都地域における引揚者による<br />
社会運動を対象とする。引揚者たちの集団化の論理とそこでなされる主張の<br />
検討を通じて、この時代において「国民」として存在するということをめぐ<br />
る社会的な争いの跡を辿りたい。それは意識される均質な存在としての「国<br />
民」と、現実の「国民」内部にはらむ不均質さの間にある落差を問う、とい<br />
うことであると同時に日本人にとっての植民地経験、戦争犠牲とはなんだっ<br />
たのかを問う試みでもある。</p>
<p>司会　石原　俊（明治学院大学）</p>
<p>総会　　　　　　　　　　　　　　　　　 午前11時50分〜12時40分　　</p>
<p>※　発表に際し、パワーポイント等をご使用の場合は、ノートＰＣをご持参ください。<br />
ＤＶＤ、ビデオ、書画カメラは使用可能です。<br />
ただし、ＣＰＲＭ対応の機器が必要な場合は、事前に福間 yfukuma◆ss.ritsumei.ac.jp<br />
までご連絡ください。（◆をアットマークへ変更）</p>
<p>会　　場<br />
立命館大学衣笠キャンパス　清心館525教室<br />
　京都市北区等持院北町56-1<br />
※キャンパスマップおよびアクセスマップをご参照ください。</p>
<p>日時：3月12日（土）、13日（日）<br />
　3月12日　研究発表：午後1時00分～午後5時15分、懇親会：午後6時00分〜8時00分　　<br />
　3月13日　研究発表：午前9時00分～午前11時45分、総会：午前11時50分～12時40分</p>
<p>参加費<br />
一般会員　　 2000円（大会費1000円＋年会費1000円）<br />
一般非会員　1000円（大会費1000円）<br />
学生会員　　 1500円（大会費500円＋年会費1000円）<br />
学生非会員 　 500円（大会費500円）<br />
別途懇親会費（希望者のみ）</p>
<p>事務局連絡先　<a href="http://scholars-net.com/ssw/contact-us">こちらをクリック</a><br />
会場担当連絡先　yfukuma◆ss.ritsumei.ac.jp　（◆をアットマークへ変更）</p>
</blockquote>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/25/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>第２回研究大会開催のお知らせ</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/23</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/23#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 05 Feb 2011 12:54:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究大会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=23</guid>
		<description><![CDATA[戦争社会学研究会第2回研究大会が、来る3月12日（土）、13日（日）に、立命館大学にて開催されます。 詳細が決まりましたので、ご報告させていただきます。 皆様のふるってのご参加をお願い申し上げます。   日時：3月12日（土）、13日（日） 　3月12日　研究発表：午後1時00分～午後5時15分、懇親会：午後6時00分〜8時00分　　 　3月13日　研究発表：午前9時00分～午前11時45分、総会：午前11時50分～12時40分 会場：立命館大学衣笠キャンパス　清心館525教室 所在地：京都市北区等持院北町56-1 参加費 一般会員　　 2000円（大会費1000円＋年会費1000円） 一般非会員　1000円（大会費1000円） 学生会員　　 1500円（大会費500円＋年会費1000円） 学生非会員 　 500円（大会費500円） 別途懇親会費（希望者のみ）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>戦争社会学研究会第2回研究大会が、来る3月12日（土）、13日（日）に、立命館大学にて開催されます。<br />
詳細が決まりましたので、ご報告させていただきます。<br />
皆様のふるってのご参加をお願い申し上げます。<span id="more-23"></span></p>
<blockquote><p> <br />
日時：3月12日（土）、13日（日）<br />
　3月12日　研究発表：午後1時00分～午後5時15分、懇親会：午後6時00分〜8時00分　　<br />
　3月13日　研究発表：午前9時00分～午前11時45分、総会：午前11時50分～12時40分</p>
<p>会場：立命館大学衣笠キャンパス　清心館525教室<br />
所在地：京都市北区等持院北町56-1<br />
参加費<br />
一般会員　　 2000円（大会費1000円＋年会費1000円）<br />
一般非会員　1000円（大会費1000円）<br />
学生会員　　 1500円（大会費500円＋年会費1000円）<br />
学生非会員 　 500円（大会費500円）<br />
別途懇親会費（希望者のみ）</p></blockquote>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/23/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>第1回研究大会概要（２日目）</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/9</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/9#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 04 May 2010 03:23:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究大会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=9</guid>
		<description><![CDATA[２日目の第一報告（李榮眞「朝鮮人特攻隊員という問い」）では、朝鮮人特攻隊員に関する書物やその慰霊をめぐる動きを検証しながら、彼らが「記憶」あるいは「忘却」されることの背後にあるさまざまな社会的力学、および、そこにおける日本と韓国の相違について、議論された。 続く第二報告（山本昭宏「戦後日本における自然科学者の核エネルギー認識」）では、科学専門誌『自然』における「核」言説の変容を跡付けながら、ＧＨＱによる占領や第五福竜丸事件、平和運動の影響がそこにどう関わっていたのか、戦時期日本の原爆開発（ニ号研究、Ｆ号研究）や被爆体験がいかに想起あるいは忘却されたのかといった点について、考察がなされた。 これら両報告に対して、フロアーからは、言説変容の駆動因や議論の布置を析出するための分析軸（戦時期の体験や戦争協力をめぐる悔恨の有無など）をめぐって、活発な討議がなされたほか、「ナショナル」な枠を超えることで「記憶」を捉え返すことの意義についても、議論がなされた。 私自身は、二日間の研究会発表をとおして、従来の「正しさ」を相対化したり、それだけでは捕捉し得ない多様な知的営みについて、多くの刺激を得ることができた。同時に、「戦争社会学」という学問領域のオリジナリティについて、今後議論を重ねていくことの必要性も感じた次第である。戦史研究，社会運動論，戦争責任論といった近接領域との差別化に拘泥することは避けるべきだろうが、「戦争社会学」がいかなる方法論を持ち、それによって何を浮き彫りにできるのかといったことは、われわれに課された今後の課題ではないだろうか。（福間良明）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img style="float: left;" src="files/20100504122457.jpg" alt="" width="160" height="106" />２日目の第一報告（李榮眞「朝鮮人特攻隊員という問い」）では、朝鮮人特攻隊員に関する書物やその慰霊をめぐる動きを検証しながら、彼らが「記憶」あるいは「忘却」されることの背後にあるさまざまな社会的力学、および、そこにおける日本と韓国の相違について、議論された。<br />
<img style="float: right;" src="files/20100504122534.jpg" alt="" width="160" height="106" />続く第二報告（山本昭宏「戦後日本における自然科学者の核エネルギー認識」）では、科学専門誌『自然』における「核」言説の変容を跡付けながら、ＧＨＱによる占領や第五福竜丸事件、平和運動の影響がそこにどう関わっていたのか、戦時期日本の原爆開発（ニ号研究、Ｆ号研究）や被爆体験がいかに想起あるいは忘却されたのかといった点について、考察がなされた。<span id="more-9"></span><br />
<img style="float: left;" src="files/20100504122609.jpg" alt="" width="160" height="106" />これら両報告に対して、フロアーからは、言説変容の駆動因や議論の布置を析出するための分析軸（戦時期の体験や戦争協力をめぐる悔恨の有無など）をめぐって、活発な討議がなされたほか、「ナショナル」な枠を超えることで「記憶」を捉え返すことの意義についても、議論がなされた。<br />
<img style="float: right;" src="files/20100504122642.jpg" alt="" width="160" height="106" />私自身は、二日間の研究会発表をとおして、従来の「正しさ」を相対化したり、それだけでは捕捉し得ない多様な知的営みについて、多くの刺激を得ることができた。同時に、「戦争社会学」という学問領域のオリジナリティについて、今後議論を重ねていくことの必要性も感じた次第である。戦史研究，社会運動論，戦争責任論といった近接領域との差別化に拘泥することは避けるべきだろうが、「戦争社会学」がいかなる方法論を持ち、それによって何を浮き彫りにできるのかといったことは、われわれに課された今後の課題ではないだろうか。（福間良明）<br />
<img style="float: left;" src="files/20100504122719.jpg" alt="" width="160" height="106" /></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/9/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>第１回研究大会概要（１日目）</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/8</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/8#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 04 May 2010 02:39:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究大会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=8</guid>
		<description><![CDATA[第一報告の坪田報告では、ある戦後補償訴訟の現場で、「和解」を取り持とうとした「良心的な日本人」がなしてしまう無防備な「加害性」について論じられた。具体的には、和解条項における「但し書き」の付与について、原告側日本人弁護団が原告に対して持ってしまった権力性についての検討である。興味深かったのは、表明された状況認識においては、原告と被告とはむしろ一致していたのにもかかわらず（つまりお互いにとって争点は明確であったのに）、弁護団のそれは一致しなかったということである。本報告は、「和解」の自己目的化がはまりこんでしまう陥穽を浮かび上がらせてくれた。 第二報告の粟津報告は、沖縄における遺骨収集の試みの現在を、モノとしての遺骨が張りめぐらす集合的記憶の孕む静かな（？）緊張において読み解こうとする試みであった。遺骨収集に関して、厚生省による「概了」表明後も続けられている市民主体の作業は、大文字の政治では回収することのできない、日常に根ざした善意による「（敵味方のない）人間的な」水準において行われている。モノとしての骨が作動させてしまう独特の水準だと思われるが、報告では、それを構成している様々な語りを、印象的な映像を交えながら浮かび上がらせてくれた。 第三報告の一ノ瀬報告では、戦死者遺児たちが靖国神社参拝に際して書いた作文集の文章を拾いながら、死の意味づけをめぐって揺れる戦後社会の一端が示された。端的にいって遺児たちの作文は、相当混乱しているようなのだが、それを丁寧に読み解くことが出来れば、戦後日本社会の戦争観についての検討に、新しい視角を付け加えることができるというのである。報告は、茨城県によって作成された昭和30年前後（1940年代末～1950年代）の刊行物が資料として紹介されたが、同様の試みが全国規模で想像できることが示唆され、今後の豊かな検討可能性が予見された。 当日は、第一回大会の初日ということもあり、「戦争社会学」と冠したこの研究会でどのような報告を聞くことが出来るか、それぞれの報告にどのような連関を見つけることができるか、司会者自身楽しみなところがあったが、多様な視点から非常に活発な質疑応答があり、今後の会の可能性を垣間見ることができたと思う。（野上元）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img style="float: left;" src="files/20100504121241.jpg" alt="" width="160" height="106" />第一報告の坪田報告では、ある戦後補償訴訟の現場で、「和解」を取り持とうとした「良心的な日本人」がなしてしまう無防備な「加害性」について論じられた。具体的には、和解条項における「但し書き」の付与について、原告側日本人弁護団が原告に対して持ってしまった権力性についての検討である。興味深かったのは、表明された状況認識においては、原告と被告とはむしろ一致していたのにもかかわらず（つまりお互いにとって争点は明確であったのに）、弁護団のそれは一致しなかったということである。本報告は、「和解」の自己目的化がはまりこんでしまう陥穽を浮かび上がらせてくれた。<br />
<img style="float: right;" src="files/20100504121948.jpg" alt="" width="160" height="106" />第二報告の粟津報告は、沖縄における遺骨収集の試みの現在を、モノとしての遺骨が張りめぐらす集合的記憶の孕む静かな（？）緊張において読み解こうとする試みであった。遺骨収集に関して、厚生省による「概了」表明後も続けられている市民主体の作業は、大文字の政治では回収することのできない、日常に根ざした善意による「（敵味方のない）人間的な」水準において行われている。モノとしての骨が作動させてしまう独特の水準だと思われるが、報告では、それを構成している様々な語りを、印象的な映像を交えながら浮かび上がらせてくれた。<span id="more-8"></span><br />
<img style="float: left;" src="files/20100504121957.jpg" alt="" width="160" height="106" />第三報告の一ノ瀬報告では、戦死者遺児たちが靖国神社参拝に際して書いた作文集の文章を拾いながら、死の意味づけをめぐって揺れる戦後社会の一端が示された。端的にいって遺児たちの作文は、相当混乱しているようなのだが、それを丁寧に読み解くことが出来れば、戦後日本社会の戦争観についての検討に、新しい視角を付け加えることができるというのである。報告は、茨城県によって作成された昭和30年前後（1940年代末～1950年代）の刊行物が資料として紹介されたが、同様の試みが全国規模で想像できることが示唆され、今後の豊かな検討可能性が予見された。<br />
<img style="float: right;" src="files/20100504121228.jpg" alt="" width="160" height="106" />当日は、第一回大会の初日ということもあり、「戦争社会学」と冠したこの研究会でどのような報告を聞くことが出来るか、それぞれの報告にどのような連関を見つけることができるか、司会者自身楽しみなところがあったが、多様な視点から非常に活発な質疑応答があり、今後の会の可能性を垣間見ることができたと思う。（野上元）<br />
<img style="float: left;" src="files/20100504122018.jpg" alt="" width="160" height="106" /></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/8/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>戦争社会学研究会第１回研究大会のお知らせ</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/7</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/7#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 11 Feb 2010 06:22:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[事務局より]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=7</guid>
		<description><![CDATA[戦争社会学研究会の第一回研究大会が以下の要領にて開催されます。 参加をご希望の方は事務局までお知らせください。 事務局宛メールフォームはこちら。 日　　時 2010年3月13日（土）・14日（日） 会　　場 明治大学駿河台校舎アカデミーコモン３０９F室　 JRお茶ノ水駅をお茶ノ水橋方向で下車。明大通りを100ｍ南下。右手の建物 アクセス情報（明治大学サイト） 日　　程 13日（土） 研究報告： 午後1時00分〜5時15分 　　　　　　　懇親会： 午後6時00分〜8時00分 14日(日） 研究報告： 午前9時00分〜11時45分 　　　　　　　総会： 午前11時50分〜12時40分　　 参加費 一般会員　　 2000円（大会費1000円＋年会費1000円） 一般非会員　1000円（大会費1000円） 学生会員　　 1500円（大会費500円＋年会費1000円） 学生非会員 　 500円（大会費500円） 別途懇親会費（希望者のみ） プログラム PDF版はこちら。 3月13日（土） 研究報告　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　司会　野上　元（筑波大学） 1. 坪田典子（文教大学）　　　　　　　　　午後1時00分〜2時15分 「戦後補償訴訟と加害者性」（仮） 冷戦構造が崩壊した90年代以降、日本が侵略、支配した各地の被害者の人々が、日本の戦後責任問題を問い始め、現在までに80件を超す戦後補償訴訟が提起されている。しかし、結果として、被害者が求めたような形での戦後補償はいまだ実現しておらず、日本は、被害者の人々からの責任を問う声に応答できないままでいる。本報告では、戦後補償訴訟における典型的かつ象徴的な一つの事例をとりあげて、被害者の側の要求と加害者性について議論する。 2. 粟津賢太（南山宗教文化研究所）　　　　午後2時30分〜3時45分　 　「沖縄における遺骨収集の現代的展開と集合的記憶─媒介的行為論としてのナラティヴ―」 本報告は沖縄における遺骨収集の現代的展開と、そこにみられる語りを集合的記憶研究の枠組みから理解しようとするものである。戦後64年が経過した沖縄では現在でも遺骨収集の努力が続けられている。とりわけ米軍から返還された土地や再開発予定地における作業は喫緊の課題である。また、今後80年はかかると推測されている不発弾処理の問題もある。戦後沖縄における遺骨収集は宗教団体をはじめとする様々な団体や個人によってヴォランティアなものとして担われてきた。現代の沖縄において、そうした作業を支える人々の活動と、そこにみられる語りを、集合的記憶研究の中に位置づけ、理解を提示する。 3. 一ノ瀬俊也（埼玉大学）　　　　　　　　午後4時00分〜5時15分　 「占領終結後の戦死者遺児による靖国神社集団参拝」 　　 戦時中、各県の軍人援護会（半官半民の軍事援護団体）支部は、戦死者遺児の靖国神社集団参拝を行っていた。それは、前線将兵に対して万一戦死しても遺児はかくも優遇されるということを示し、その士気の維持を図るという目的があった。戦後、といっても占領終結後の1950年代、ふたたび各県による遺児の集団参拝が復活した。本報告では、これに参加した遺児たちの感想文集を検討し、彼・彼女たちが自らの父親を奪った戦争にいかなる意味を見いだしていたのかを問う。それは、ともすれば侵略か自衛かという二項対立で語られがちな、戦後社会における〈先の戦争観〉の別の一面を浮き彫りにする作業にほかならない。 懇親会　　　　　　　　　　　　　　　　　 　午後6時00分〜8時00分　 　　 3月14日（日） 研究報告　　　　　　　　　　　　　　　　　　　司会　福間良明（立命館大学） 1. 李榮眞（ソウル大学） 　　　　　　　　 ... <a href="http://scholars-net.com/ssw/archives/7" title="戦争社会学研究会第１回研究大会のお知らせ"> more &#187; </a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>戦争社会学研究会の第一回研究大会が以下の要領にて開催されます。<br />
参加をご希望の方は事務局までお知らせください。<br />
<a href="http://scholars-net.com/ssw/contact-us" target="_blank">事務局宛メールフォームはこちら。<br />
</a><strong><span id="more-7"></span>日　　時</strong><br />
2010年3月13日（土）・14日（日）<br />
<strong>会　　場</strong><br />
明治大学駿河台校舎アカデミーコモン３０９F室　<br />
JRお茶ノ水駅をお茶ノ水橋方向で下車。明大通りを100ｍ南下。右手の建物<br />
<a href="http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html" target="_blank">アクセス情報（明治大学サイト）</a><br />
<strong>日　　程</strong><br />
13日（土） 研究報告： 午後1時00分〜5時15分<br />
　　　　　　　懇親会： 午後6時00分〜8時00分<br />
14日(日） 研究報告： 午前9時00分〜11時45分<br />
　　　　　　　総会： 午前11時50分〜12時40分　　<br />
<strong>参加費</strong><br />
一般会員　　 2000円（大会費1000円＋年会費1000円）<br />
一般非会員　1000円（大会費1000円）<br />
学生会員　　 1500円（大会費500円＋年会費1000円）<br />
学生非会員 　 500円（大会費500円）<br />
別途懇親会費（希望者のみ）<br />
<strong>プログラム</strong><br />
PDF版はこちら。<a href="http://www.scholars-net.com/ssw/files/ssw_program.pdf" target="_blank"><img src="files/pdf.gif" alt="" width="24" height="24" /></a></p>
<blockquote><p>3月13日（土）<br />
研究報告　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　司会　野上　元（筑波大学）<br />
1. 坪田典子（文教大学）　　　　　　　　　午後1時00分〜2時15分<br />
「戦後補償訴訟と加害者性」（仮）<br />
冷戦構造が崩壊した90年代以降、日本が侵略、支配した各地の被害者の人々が、日本の戦後責任問題を問い始め、現在までに80件を超す戦後補償訴訟が提起されている。しかし、結果として、被害者が求めたような形での戦後補償はいまだ実現しておらず、日本は、被害者の人々からの責任を問う声に応答できないままでいる。本報告では、戦後補償訴訟における典型的かつ象徴的な一つの事例をとりあげて、被害者の側の要求と加害者性について議論する。<br />
2. 粟津賢太（南山宗教文化研究所）　　　　午後2時30分〜3時45分　<br />
　「沖縄における遺骨収集の現代的展開と集合的記憶─媒介的行為論としてのナラティヴ―」<br />
本報告は沖縄における遺骨収集の現代的展開と、そこにみられる語りを集合的記憶研究の枠組みから理解しようとするものである。戦後64年が経過した沖縄では現在でも遺骨収集の努力が続けられている。とりわけ米軍から返還された土地や再開発予定地における作業は喫緊の課題である。また、今後80年はかかると推測されている不発弾処理の問題もある。戦後沖縄における遺骨収集は宗教団体をはじめとする様々な団体や個人によってヴォランティアなものとして担われてきた。現代の沖縄において、そうした作業を支える人々の活動と、そこにみられる語りを、集合的記憶研究の中に位置づけ、理解を提示する。<br />
3. 一ノ瀬俊也（埼玉大学）　　　　　　　　午後4時00分〜5時15分　<br />
「占領終結後の戦死者遺児による靖国神社集団参拝」<br />
　　<br />
戦時中、各県の軍人援護会（半官半民の軍事援護団体）支部は、戦死者遺児の靖国神社集団参拝を行っていた。それは、前線将兵に対して万一戦死しても遺児はかくも優遇されるということを示し、その士気の維持を図るという目的があった。戦後、といっても占領終結後の1950年代、ふたたび各県による遺児の集団参拝が復活した。本報告では、これに参加した遺児たちの感想文集を検討し、彼・彼女たちが自らの父親を奪った戦争にいかなる意味を見いだしていたのかを問う。それは、ともすれば侵略か自衛かという二項対立で語られがちな、戦後社会における〈先の戦争観〉の別の一面を浮き彫りにする作業にほかならない。<br />
懇親会　　　　　　　　　　　　　　　　　 　午後6時00分〜8時00分　<br />
　　<br />
3月14日（日）<br />
研究報告　　　　　　　　　　　　　　　　　　　司会　福間良明（立命館大学）<br />
1. 李榮眞（ソウル大学） 　　　　　　　　 午前9時00分〜10時15分<br />
「朝鮮人特攻隊員という問い」（仮）<br />
本研究では戦後日本の慰霊と記憶を理解するもう一つの窓として、日本と韓国両社会の中で、「朝鮮人特攻隊員」という存在が表象・記憶される過程について考察したい。現在、知覧の特攻平和会館の中には11人の朝鮮人特攻隊員の遺影が展示されており、記念館の敷地には彼らの慰霊の性格を持つ「アリランの碑」という記念碑が建てられている。また最近作られた映画(「ホタル」や「俺はあなたのためにこそ死ににいく」)の中でも、出撃の前夜、涙を流しながらアリランを歌った朝鮮人特攻隊員のエピソードがかなり重要な一部として映られている。60年前に死んだ朝鮮人特攻隊員が今、日本社会に再び現れたのはなぜだろうか。本研究では、彼らが今まで日本社会の大衆文化の中で消費されている様子やその意味を明確にする一方、彼らの存在が現代の韓国社会に問いかける意味についても考察したい。特に、最近韓国のある地域に特攻慰霊碑を建てようとする試みはその挫折を巡る一連の事件を「朝鮮人特攻隊の帰還」という脈略で検討したい。<br />
2. 山本昭宏（京都大学） 　　　　　　　　午前10時30分〜11時45分　<br />
「戦後日本における自然科学者の核エネルギー認識─科学専門誌『自然』を中心に―」<br />
1945年から、原子力の研究開発体制が確立し、実際に運用され始める1965年までの自然科学者の核エネルギー認識を、中央公論社発行の『自然』を中心に沿えて、扱うつもりでいます。<br />
総会　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　午前11時50分〜12時40分</p></blockquote>
<p>　　</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/7/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>戦争社会学研究会の設立の呼びかけ</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/6</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/6#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 26 May 2009 08:21:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[事務局より]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=6</guid>
		<description><![CDATA[　アジア・太平洋戦争（こう呼ばせていただきます）が終わって64年、戦争体験の風化が言われながら、他方でそれが記憶の中で甦り、継承され、また新たに構築されています。戦争に対してどのような態度をとるかは、日本国民のホットなトピックであるだけではなく、日本社会学においても、すでに少なからぬ方々が、戦争体験（戦争に関わる人間的事象）について、研究を蓄積されています。戦争体験は、事実（事実とは何かを含めて）に関わる諸問題を提起しているのみならず、「歴史・社会・人間」の研究に重くかつ深い諸問題を提起し、社会学を学ぶ者にそれらへの応答を迫っています。社会学徒は、戦争に対する責任に、歴史的理性と学術的研究をもってどのように応答すればいいのか。戦争と人間を研究する先輩たちの胸には、このような想いが去来したのではないでしょうか。　 　このような認識にたって、私たちはここに、戦争と人間の社会学的研究に関心を寄せる方々に戦争社会学研究会の設立を呼びかけたいと思います。私たちは、戦争と人間の社会学的研究に携わる全国の方々が一堂に会して議論を闘わせ、交流する場がないことを残念に思っています。そのような場（学会さえ）はどうしても必要だと思っています。しかも、私たちが研究会の設立を呼びかける理由は、それだけではありません。 　まず戦争は、社会学にとって、人間性の解明のために、想像力の問題としても、理論と方法の問題としても、避けることのできない研究課題であります。また兵士として、「銃後」の国民として、原爆や沖縄戦の犠牲者として、さらに侵略されたアジアの民衆として、アジア・太平洋戦争を直接に体験された方々が高齢になった現在、戦争の生き証人から体験を聞くことのできる機会が残り少なくなっています。さらに、戦没された方々の遺書・手記・日記・手紙など、膨大な「涙と血の文書」が全国の平和記念館などに収集され、文献や報告書に収録されているものの、それらの社会学的分析はほとんど手つかずの状態にあります（データベース化さえあまりされていません）。これらの方々の体験を聞き、また文書や文献を読んで戦争と人間の事実を明かし、その意味を分析することは、戦争と人間の社会学的研究にとって必須の課題であります。研究会は、戦争と人間の事実に即して戦争の意味を社会学的に解明する、換言すれば、自分の考えにとって都合の悪い（と思える）事実をも含めて、戦争の意味を解明しようとするものであります。 　このような研究姿勢のもと、研究会の輪郭について、次のように考えています。第一に、（さしあたり）研究と議論の対象をアジア・太平洋戦争に関わる戦争と人間に絞ってはどうかと思います。理由は３つあります。一つ、アジア・太平洋戦争は、日本近現代の戦争の総帰結（戦後の戦争体験を含めて）であり、戦争と人間の研究にもっとも多様な問題を投げかけているからであります。二つ、アジア・太平洋戦争は、韓国・朝鮮や中国をはじめ多くのアジアの人びと、また沖縄の人びとを巻き込み、苦難と犠牲を強いた戦争であったという意味でも、日本近現代の戦争の総帰結だからであります。三つ、残されたわずかな機会において、アジア・太平洋戦争の生き証人の体験を聞いて記録することは、社会学がなすべき焦眉の課題だからであります。 　ただし、さしあたりアジア・太平洋戦争に対象を絞るといっても、研究は、日本近現代の戦争と人間の全般に関わる問題群と不可分の関係にあります。したがって、研究の射程は、当然、それらを包摂せざるをえません。 　第二に、戦争体験の研究といっても、中身は多様なテーマから構成されます。戦前の戦争体験、軍隊・戦闘体験、「銃後」の体験、被爆体験、沖縄戦体験、アジア民衆の体験、戦後の戦争体験（抑留、引揚げ、遺族など）、戦争体験の継承や再構築などなど。研究会においては、テーマを限定することなく、会員が各自の関心をもとに研究を進め、議論し、その中から戦争社会学の形成に繋がる発見（実証と理論）を蓄積していくことになるのだと思います。 　第三に、戦争社会学研究会の会員は全国から参加されます。また、特別のファンドがあるわけでもありません。それで、研究会の開催は、年に1度、毎年場所を変えて、1泊2日の研究大会を開催する（学会方式）という方法が精一杯なのではないかと思います（会員同士の交流は、どんどんあってほしいものですが）。研究会の形態や事務などの具体的な事柄については、ご賛同いただいた方々に、あらためて提案させていただきたいと思います。 　戦争とはなにか。戦争体験とはなにか。戦争社会学とはなにか。こうした問いの答えも明確に定まらないまま、ここに、研究会の設立を呼びかけています。既述の趣旨において、まずは「戦争社会学」研究会の設立を呼びかけたい。これであります。 　ということで、幸いにして趣旨にご賛同いただけますならば、ぜひとも研究会に加わっていただき、いっしょに議論を闘わせ、学び、（日本の、また世界に発信する）戦争社会学に関わる社会学的知を蓄積していくことができればと思います。 2009年4月　 青木秀男 Institute on Social Theory and Dynamics]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　アジア・太平洋戦争（こう呼ばせていただきます）が終わって64年、戦争体験の風化が言われながら、他方でそれが記憶の中で甦り、継承され、また新たに構築されています。戦争に対してどのような態度をとるかは、日本国民のホットなトピックであるだけではなく、日本社会学においても、すでに少なからぬ方々が、戦争体験（戦争に関わる人間的事象）について、研究を蓄積されています。戦争体験は、事実（事実とは何かを含めて）に関わる諸問題を提起しているのみならず、「歴史・社会・人間」の研究に重くかつ深い諸問題を提起し、社会学を学ぶ者にそれらへの応答を迫っています。社会学徒は、戦争に対する責任に、歴史的理性と学術的研究をもってどのように応答すればいいのか。戦争と人間を研究する先輩たちの胸には、このような想いが去来したのではないでしょうか。　<br />
　このような認識にたって、私たちはここに、戦争と人間の社会学的研究に関心を寄せる方々に戦争社会学研究会の設立を呼びかけたいと思います。私たちは、戦争と人間の社会学的研究に携わる全国の方々が一堂に会して議論を闘わせ、交流する場がないことを残念に思っています。そのような場（学会さえ）はどうしても必要だと思っています。しかも、私たちが研究会の設立を呼びかける理由は、それだけではありません。<br />
<span id="more-6"></span><br />
　まず戦争は、社会学にとって、人間性の解明のために、想像力の問題としても、理論と方法の問題としても、避けることのできない研究課題であります。また兵士として、「銃後」の国民として、原爆や沖縄戦の犠牲者として、さらに侵略されたアジアの民衆として、アジア・太平洋戦争を直接に体験された方々が高齢になった現在、戦争の生き証人から体験を聞くことのできる機会が残り少なくなっています。さらに、戦没された方々の遺書・手記・日記・手紙など、膨大な「涙と血の文書」が全国の平和記念館などに収集され、文献や報告書に収録されているものの、それらの社会学的分析はほとんど手つかずの状態にあります（データベース化さえあまりされていません）。これらの方々の体験を聞き、また文書や文献を読んで戦争と人間の事実を明かし、その意味を分析することは、戦争と人間の社会学的研究にとって必須の課題であります。研究会は、戦争と人間の事実に即して戦争の意味を社会学的に解明する、換言すれば、自分の考えにとって都合の悪い（と思える）事実をも含めて、戦争の意味を解明しようとするものであります。<br />
　このような研究姿勢のもと、研究会の輪郭について、次のように考えています。第一に、（さしあたり）研究と議論の対象をアジア・太平洋戦争に関わる戦争と人間に絞ってはどうかと思います。理由は３つあります。一つ、アジア・太平洋戦争は、日本近現代の戦争の総帰結（戦後の戦争体験を含めて）であり、戦争と人間の研究にもっとも多様な問題を投げかけているからであります。二つ、アジア・太平洋戦争は、韓国・朝鮮や中国をはじめ多くのアジアの人びと、また沖縄の人びとを巻き込み、苦難と犠牲を強いた戦争であったという意味でも、日本近現代の戦争の総帰結だからであります。三つ、残されたわずかな機会において、アジア・太平洋戦争の生き証人の体験を聞いて記録することは、社会学がなすべき焦眉の課題だからであります。<br />
　ただし、さしあたりアジア・太平洋戦争に対象を絞るといっても、研究は、日本近現代の戦争と人間の全般に関わる問題群と不可分の関係にあります。したがって、研究の射程は、当然、それらを包摂せざるをえません。<br />
　第二に、戦争体験の研究といっても、中身は多様なテーマから構成されます。戦前の戦争体験、軍隊・戦闘体験、「銃後」の体験、被爆体験、沖縄戦体験、アジア民衆の体験、戦後の戦争体験（抑留、引揚げ、遺族など）、戦争体験の継承や再構築などなど。研究会においては、テーマを限定することなく、会員が各自の関心をもとに研究を進め、議論し、その中から戦争社会学の形成に繋がる発見（実証と理論）を蓄積していくことになるのだと思います。<br />
　第三に、戦争社会学研究会の会員は全国から参加されます。また、特別のファンドがあるわけでもありません。それで、研究会の開催は、年に1度、毎年場所を変えて、1泊2日の研究大会を開催する（学会方式）という方法が精一杯なのではないかと思います（会員同士の交流は、どんどんあってほしいものですが）。研究会の形態や事務などの具体的な事柄については、ご賛同いただいた方々に、あらためて提案させていただきたいと思います。<br />
　戦争とはなにか。戦争体験とはなにか。戦争社会学とはなにか。こうした問いの答えも明確に定まらないまま、ここに、研究会の設立を呼びかけています。既述の趣旨において、まずは「戦争社会学」研究会の設立を呼びかけたい。これであります。<br />
　ということで、幸いにして趣旨にご賛同いただけますならば、ぜひとも研究会に加わっていただき、いっしょに議論を闘わせ、学び、（日本の、また世界に発信する）戦争社会学に関わる社会学的知を蓄積していくことができればと思います。</p>
<div align="right">2009年4月　<br />
青木秀男<br />
Institute on Social Theory and Dynamics</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/6/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>戦争社会学研究会発会の祝辞に代えて（森岡清美先生　御講演）</title>
		<link>http://scholars-net.com/ssw/archives/5</link>
		<comments>http://scholars-net.com/ssw/archives/5#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 24 May 2009 14:22:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[講演]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://scholars-net.com/ssw/?p=5</guid>
		<description><![CDATA[2009年5月16日（土）　於：　明治大学研究棟　第3会議室 戦争社会学研究会発会の祝辞に代えて  森岡清美 　戦争社会学研究会の発会、まことにおめでとうございます。青木秀男さんの執念ともいうべき熱意がこうした形で稔ったことを、ご参会の皆さんとともに慶びたいと存じます。 　さきほど発会記念講演とも受けとれるご紹介をいただきましたが、それだけのキャパシテｲをもちあわせていませんので、祝辞がわりのご挨拶でお許しいただきたいと存じます。 　私がこういう晴れがましい役割を仰せつかったのは、本日ご参会の方々のなかでは断トツの高齢者であって、皆さんの研究対象にもなる世代に属するからだろうと推測いたします。いわゆる戦中派です。 Ⅰ　戦中派について 　戦中派というのはどの時代に生まれた何年ぐらいの幅がある世代でしょうか。本日わざわざ京都から参加された福間良明さんが、今年の春『「戦争体験」の戦後史』という興味深い本を中公新書の一冊として公刊されましたが、その中で、戦中派とは1920年代前半生まれの人たち、1920年前後生まれの人たち、という二通りの規定を示しておられます。前者は学徒出陣世代です。1943年10月に学生・生徒の徴兵猶予が停止され、徴兵適齢（20歳）を越えた人たちが同年の末頃召集されました。順調に大学まで進学したとして、その年の在学生の最年長は1920年生まれ、そして1944年に徴兵適齢（19歳）に達したのが1925年生まれですから、学徒出陣世代は1920-25年生まれということになります。隅谷三喜男さんという有名な経済学者が、私は太平洋戦争勃発の前、1941年3月に卒業したから、戦前派の最後だということを書いています。それなら戦中派は2年さかのぼって1918ｰ25年生まれということになり、1920年前後生まれと要約できます。いずれにせよ、1920年前後から20年代前半生まれの人たちであって、散華の世代、私のいう決死の世代に相当します。福間さんの戦中派の捉え方は妥当といえましょう。 　日本社会学会の会員でいいますと、1917年以前生まれ、つまり戦前派に属する人たちとしては、福武直・内藤莞爾・日高六郎らの諸氏を挙げることができます。この方々は戦前派の末尾を飾りました。戦中派は青井和夫・中野卓・作田啓一の諸氏、それに私もこの世代に属します。戦前派はほとんどが故人となりましたが、戦中派はまだなんとか生きている人が多いのではないでしょうか。本日、戦中派である私が、この場に参加してベテラン・新進の元気な方々と同席できたことを、望外の幸運と受け止めています。　 　戦中派は戦前派から、そしてしばしば戦後派の人たちからも、教養に欠けると批判されることを、福間さんの先ほどご紹介した本から学びました。そんなことはないと言い返す方も戦中派にはいると思いますが、私はその通りと肯定するに吝かではありません。というのは、戦中派の修学期間が短かったからです。1944年度には旧制高等学校および専門学校生徒の修学期間が3年から2年に短縮されました。工場や農村に生産増強のために動員されましたが、動員期間中は学校で授業を受けないのに、受けたと同様の扱いで進級、それに召集されて軍隊に在った期間も在学期間に算入されました。私など、東京高等師範学校と東京文理科大学で通常なら計6年の修学年数のところ、5年に短縮され、さらに学徒動員・学徒出陣で計１年半も授業を受けず、実際の修学年数は寄せ集めても3年半に過ぎないのです。こんな不十分な教育で大学の教師になったのですから、欠陥教師もいいところですネ。戦後、蘇生したように夢中になって知識を求め、学力の補充に日夜努めましたが、成長に必要な栄養は適時に摂取しなければものになりません。戦中派は教養に欠けるという批判を甘受するとともに、そうした世代を作りださぬ国家の運営が求められます。 　やや駄弁を弄しましたが、今お示しした戦中派の世代設定は、国民のうち高等教育を受けた数パーセントの人々に着目したものであるところに、看過できぬ欠陥があります。そこで、大多数を占めた高等小学校卒を手がかりとして広く捉えるなら、日中戦争勃発の1937年に徴兵適齢に達した1917年生まれから、1944年に徴兵適齢に達した1925年生まれまで、あるいは少年兵志願者の最年少1929年生まれまで、後者なら1917-29年生まれということになります。もちろん、これは今後検討を要するところであります。 Ⅱ　戦争社会学とは 　研究会が研究対象とする戦争社会学とはどんな学問でしょうか。先ほど青木さんから提出された「戦争社会学研究会の設立の呼びかけ」にも、戦争社会学とは何かという、定義めいた言説はありません。これは会員皆さんの討議のなかで漸次形成されてくるものとの期待を込めて、関心の範囲を予め制限するような言及を避けたからであろうと推察しております。しかし、未熟かつ大雑把でも定義案を掲げてみて、皆さんのこれまでのご研究の範囲を勘案し、これからのご研究の展開を見すえつつ、修正していくのがよいのではないでしょうか。今後修正するための叩き台としての定義案は、邪魔というより必要ではないか、そう考えて私見を提示してご批判に委ねたいと存じます。 　戦争はさまざまな側面をもっています。ですから、戦争社会学のほかに、これと並ぶものとして、戦争経済学、戦争政治学、戦争法学などなど成り立ちうると考えます。現状では、戦争経済学は語れないが、戦争の経済なら大いに議論することができる、といったことがあるのではないでしょうか。戦争社会学は戦争を総合的に研究するものではありません。しかし、戦争社会学には経済学の知識、政治学の知識、法学の知識、近代史の知識等々、関連分野の知識が必要であるのみならず、隣接分野で陶冶された概念、方法、あるいはアプローチのなかに戦争社会学を前進させ、活性化させるために必要なものがあれば、それらを活用しなければなりません。しかし、この研究会が戦争社会学研究会と名乗る以上は、戦争の社会学的側面に考察の焦点を置くものと理解いたします。そこで、社会学的側面に焦点を置いて定義的にいえば、とりあえずつぎのようにいうことができましょう。 　戦争社会学とは、戦争という国家的非常事態における、およびこれに関連する人々の　意識・行動・組織を研究する社会学の一分野である。 　戦争には対外戦争だけでなく、戊辰戦争や西南戦争のような内戦も含まれます。いずれにせよ政府が国家権力を動員してかかわる非常事態です。国家的非常事態といっても、インフルエンザ対応などは低いグレードの非常事態ですが、戦争は最高グレードの非常事態、国家の存亡・興廃のかかる非常事態です。そうした非常事態に際会した人々はもちろん、その時代にいなくても関連のある人々の、意識・行動・組織を研究します。意識には態度、価値観、理念、思想などと呼ばれる領域を含みます。また、行動には個人的行動から、集合行動、乱衆行動などがあります。さらに、組織といっても密度や規模の点で大小さまざまなものを含んでいます。 　なお、研究資料としては、記憶、記録、造形物資料を挙げることができます。普通の社会学研究が用いる資料とは異なって、観察資料に依存しません。というのは、現代日本での戦争社会学は日本が当事者となった過去の戦争を主な対象としますので、戦争の参与観察などできないからです。第二次大戦中、アメリカの社会学者がイタリア戦線に派遣されて、兵士の志気を高めるための研究をしたときには、観察も重要な研究資料収集の方法だったと思いますが、こういうことは現代日本では考慮の範囲に入りません。その代わりに、記憶資料、すなわち経験した人の記憶が資料として重要です。これは多くの場合、記録資料②③となって利用されます。記録資料には、関係者が事務処理過程で作成した①事務資料、経験が鮮明なうちに当事者が記録した②経験資料、当事者や関係者の口述を面接者が文章化した③面接資料、第三者が調査してその成果を記録した④調査資料などがあります。最後の造形物資料とは、戦争当時の軍関係の施設跡、戦跡、戦後建造の塔碑などがあり、戦後建造物は記録資料の一種⑤を含みます。 　このような戦争社会学は、過去の戦争を主な研究対象とすることから、戦争の歴史社会学、戦争の社会史（過去の戦争の社会学的研究）とほぼ同義となります。ただし、研究の展開のなかで、この私案も修正に委ねられるべきことはいうまでもありません。 Ⅲ　当面の課題 　誰しも重要と認める事項でありながら、単独ではできにくい課題も、共通の関心をもつ人たちが協力すればなし遂げることができる場合があります。研究会が設立されたということは、そういう条件、可能性がある程度成立したものと理解できます。会員の連携・協力によって達成されることが期待される事項を、当面の課題として挙げてみたい思います。 １．文献目録の作成 　これには少なくともつぎの二項があります。第一は、誰がどんな研究をし、どの分野がどの程度開拓されているかを知ることができる、分野別研究文献目録の作成です。将来、研究会として年報を刊行できることになったとき、是非掲載してほしいものです。第二は、既刊資料目録の作成です。私が戦争社会学領域の著書を二冊出したとき、既刊の遺書類を主な資料給源としましたが、遺書類だけでも当時すでに多数ありました。軍関係の学校史、部隊史、戦記・戦史、満蒙開拓団史、青年団史、愛国・国防婦人会史、在郷軍人史、その他戦争目的のために創られた団体史、などなど、汗牛充棟とはいかなくても随分の量ではないかと思われます。 ２．資料の発掘 　これにも少なくともつぎの三項があります。第一は刊行されていない記録資料の発掘です。私が利用した遺書類のほとんどは既刊のものでしたが、本人自筆のものも少数発掘しました。篤志家の協力をえて未刊資料の発掘を志しても、戦後すでに60余年が過ぎた今では、労多く功の少ない作業ですから、これは運に委せるほかないことでしょう。もし運よく発見したとき、公共の場に引き出す努力をしていただきたいものです。第二は、刊行されたものの今ではほとんど手にすることのできない資料の発掘です。国立公文書館、防衛省防衛研究所図書室、公立図書館郷土史室などで発掘できるかもしれません。宝の山に狙いをつけて探れば、かなりの成功を収めることができるのではないでしょうか。第三は、記録になっていない口述史資料の発掘です。全国各地から社会各層にわたって信頼度の高い戦争体験談を掘り起こしたい。対象をコーホート別、性別、地域別、階層別に選定できれば申し分ないところです。 Ⅳ　緊急を要する研究課題 　軍隊経験者（戦中派の生き残り）、戦争未亡人、空襲被災者（原爆被災者を含めて）、外地引揚者等に対する面接調査による生活史のライフコース分析が、緊急を要する課題と思われます。軍隊経験者についていえば、正規入隊者の最年少は1925年生まれの本年84歳、少年兵志願者の最年少でも1929年生まれの80歳に達します。これらの軍隊経験者は年ごとに少なくなっていきますし、面接調査に堪えうる余命はあと幾年かと考えますと、ここ数年で調査ができなくなるのではないか、との危惧の念を懐くものです。資料発掘の第三として指摘した事項のうち、最高齢者を対象とする面接調査を早期に実施する必要が大きいのではないでしょうか。 　最近、私の長年の友人がNPO法人「予科練の灯を守る会」を立ち上げて、自分たちの足跡に関する記録を残そうとしています。予科練の生き残りに面接調査をするさいには、この法人に連絡すれば都合がよいと思いますので、蛇足ながら言及しました。 　戦争社会学の研究に面接調査が不可欠というわけではありません。私自身、元特攻隊員への面接や手紙での質疑はミニマムに止め、既刊資料でなんとか研究をまとめることができました。既刊資料は豊富にあるし、面接調査には途方もない時間と労力がかかる、という状況のなかでのやむをえない選択でした。しかし、口述史資料の発掘は現在および将来の研究に新しい資料を提供するという、拡大再生産的な意義をもっています。他者が掘り出した資料をいただいて研究をまとめるだけでなく、これまでになかった新しい資料を少しでも発掘して公の場に提供することは、学術的意義がある作業です。今や口述史資料の重要な部分が湮滅に帰そうとしているとき、その学術的意義はとりわけ大きいと考えるものです。戦争社会学研究会に寄せられる期待の一つは、湮滅に委ねられようとしている口述史資料を集合的努力によって掘り起こすことではないでしょうか。 　本日の会合にはるばる沖縄から出席された石原昌家さんが、不戦のための証言として活用させていただくということで沖縄戦経験者に体験談を聞き取っても、戦争への跫音が高まる時代の勢いに抗することができない空しさ、話者の厚意に背いたような後ろめたさを感じるという、切実な思いを語られました。米国国防省の推計では、2000年度から2009年度までの10年間に、世界の軍事予算総額は約3倍に増えているそうですから、戦争への跫音の高まりを感じるのは、幻想でないことが明らかです。精出して口述史資料をいくら集積しても、戦争への傾斜を食い止めることはおろか、その流れに何らかの影響を与えることもできないという無力感に囚われます。では、口述史調査は無意味なのでしょうか。　私はそうは思わないのです。全く無力のようでも、戦時中の非人間的な体験を忘れないという、まさのそのことが大切だと考えるからです。沖縄戦についていえば、沖縄の方々が内地防衛の人柱にされたという悲惨きわまる事実を、具体的にしっかりと記憶に叩きこんで忘れないこと、そういう形ででも沖縄の方々の心に寄り添うことが、意味をもつと私には思われるからです。体力のいる生活史研究、口述史調査は高齢の私にはできかねますが、現役でご活躍の皆さんには機会があればぜひ心がけていただきたい、勝手ながらそうお願いして私のご挨拶を締めくくらせていただきます。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div><span style="size: 10px;">2009年5月16日（土）　於：　明治大学研究棟　第3会議室</span></div>
<p><span style="size: 14px;">戦争社会学研究会発会の祝辞に代えて</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="size: 14px;"> </span>森岡清美</p>
<p>　戦争社会学研究会の発会、まことにおめでとうございます。青木秀男さんの執念ともいうべき熱意がこうした形で稔ったことを、ご参会の皆さんとともに慶びたいと存じます。<br />
　さきほど発会記念講演とも受けとれるご紹介をいただきましたが、それだけのキャパシテｲをもちあわせていませんので、祝辞がわりのご挨拶でお許しいただきたいと存じます。<img class="alignright" src="http://scholars-net.com/ssw/archives/files/SN3E0108.JPG" alt="" width="269" height="202" /><br />
　私がこういう晴れがましい役割を仰せつかったのは、本日ご参会の方々のなかでは断トツの高齢者であって、皆さんの研究対象にもなる世代に属するからだろうと推測いたします。いわゆる戦中派です。</p>
<p><span id="more-5"></span><br />
Ⅰ　戦中派について<br />
　戦中派というのはどの時代に生まれた何年ぐらいの幅がある世代でしょうか。本日わざわざ京都から参加された福間良明さんが、今年の春『「戦争体験」の戦後史』という興味深い本を中公新書の一冊として公刊されましたが、その中で、戦中派とは1920年代前半生まれの人たち、1920年前後生まれの人たち、という二通りの規定を示しておられます。前者は学徒出陣世代です。1943年10月に学生・生徒の徴兵猶予が停止され、徴兵適齢（20歳）を越えた人たちが同年の末頃召集されました。順調に大学まで進学したとして、その年の在学生の最年長は1920年生まれ、そして1944年に徴兵適齢（19歳）に達したのが1925年生まれですから、学徒出陣世代は1920-25年生まれということになります。隅谷三喜男さんという有名な経済学者が、私は太平洋戦争勃発の前、1941年3月に卒業したから、戦前派の最後だということを書いています。それなら戦中派は2年さかのぼって1918ｰ25年生まれということになり、1920年前後生まれと要約できます。いずれにせよ、1920年前後から20年代前半生まれの人たちであって、散華の世代、私のいう決死の世代に相当します。福間さんの戦中派の捉え方は妥当といえましょう。<br />
<img class="alignleft" src="http://scholars-net.com/ssw/archives/files/SN3E0110.JPG" alt="" width="384" height="288" />　日本社会学会の会員でいいますと、1917年以前生まれ、つまり戦前派に属する人たちとしては、福武直・内藤莞爾・日高六郎らの諸氏を挙げることができます。この方々は戦前派の末尾を飾りました。戦中派は青井和夫・中野卓・作田啓一の諸氏、それに私もこの世代に属します。戦前派はほとんどが故人となりましたが、戦中派はまだなんとか生きている人が多いのではないでしょうか。本日、戦中派である私が、この場に参加してベテラン・新進の元気な方々と同席できたことを、望外の幸運と受け止めています。　</p>
<p>　戦中派は戦前派から、そしてしばしば戦後派の人たちからも、教養に欠けると批判されることを、福間さんの先ほどご紹介した本から学びました。そんなことはないと言い返す方も戦中派にはいると思いますが、私はその通りと肯定するに吝かではありません。というのは、戦中派の修学期間が短かったからです。1944年度には旧制高等学校および専門学校生徒の修学期間が3年から2年に短縮されました。工場や農村に生産増強のために動員されましたが、動員期間中は学校で授業を受けないのに、受けたと同様の扱いで進級、それに召集されて軍隊に在った期間も在学期間に算入されました。私など、東京高等師範学校と東京文理科大学で通常なら計6年の修学年数のところ、5年に短縮され、さらに学徒動員・学徒出陣で計１年半も授業を受けず、実際の修学年数は寄せ集めても3年半に過ぎないのです。こんな不十分な教育で大学の教師になったのですから、欠陥教師もいいところですネ。戦後、蘇生したように夢中になって知識を求め、学力の補充に日夜努めましたが、成長に必要な栄養は適時に摂取しなければものになりません。戦中派は教養に欠けるという批判を甘受するとともに、そうした世代を作りださぬ国家の運営が求められます。<br />
<img class="alignright" src="http://scholars-net.com/ssw/archives/files/SN3E0111.JPG" alt="" width="314" height="235" />　やや駄弁を弄しましたが、今お示しした戦中派の世代設定は、国民のうち高等教育を受けた数パーセントの人々に着目したものであるところに、看過できぬ欠陥があります。そこで、大多数を占めた高等小学校卒を手がかりとして広く捉えるなら、日中戦争勃発の1937年に徴兵適齢に達した1917年生まれから、1944年に徴兵適齢に達した1925年生まれまで、あるいは少年兵志願者の最年少1929年生まれまで、後者なら1917-29年生まれということになります。もちろん、これは今後検討を要するところであります。</p>
<p>Ⅱ　戦争社会学とは<br />
　研究会が研究対象とする戦争社会学とはどんな学問でしょうか。先ほど青木さんから提出された「戦争社会学研究会の設立の呼びかけ」にも、戦争社会学とは何かという、定義めいた言説はありません。これは会員皆さんの討議のなかで漸次形成されてくるものとの期待を込めて、関心の範囲を予め制限するような言及を避けたからであろうと推察しております。しかし、未熟かつ大雑把でも定義案を掲げてみて、皆さんのこれまでのご研究の範囲を勘案し、これからのご研究の展開を見すえつつ、修正していくのがよいのではないでしょうか。今後修正するための叩き台としての定義案は、邪魔というより必要ではないか、そう考えて私見を提示してご批判に委ねたいと存じます。</p>
<p>　戦争はさまざまな側面をもっています。ですから、戦争社会学のほかに、これと並ぶものとして、戦争経済学、戦争政治学、戦争法学などなど成り立ちうると考えます。現状では、戦争経済学は語れないが、戦争の経済なら大いに議論することができる、といったことがあるのではないでしょうか。戦争社会学は戦争を総合的に研究するものではありません。しかし、戦争社会学には経済学の知識、政治学の知識、法学の知識、近代史の知識等々、関連分野の知識が必要であるのみならず、隣接分野で陶冶された概念、方法、あるいはアプローチのなかに戦争社会学を前進させ、活性化させるために必要なものがあれば、それらを活用しなければなりません。しかし、この研究会が戦争社会学研究会と名乗る以上は、戦争の社会学的側面に考察の焦点を置くものと理解いたします。そこで、社会学的側面に焦点を置いて定義的にいえば、とりあえずつぎのようにいうことができましょう。<br />
　戦争社会学とは、戦争という国家的非常事態における、およびこれに関連する人々の　意識・行動・組織を研究する社会学の一分野である。<br />
　戦争には対外戦争だけでなく、戊辰戦争や西南戦争のような内戦も含まれます。いずれにせよ政府が国家権力を動員してかかわる非常事態です。国家的非常事態といっても、インフルエンザ対応などは低いグレードの非常事態ですが、戦争は最高グレードの非常事態、国家の存亡・興廃のかかる非常事態です。そうした非常事態に際会した人々はもちろん、その時代にいなくても関連のある人々の、意識・行動・組織を研究します。意識には態度、価値観、理念、思想などと呼ばれる領域を含みます。また、行動には個人的行動から、集合行動、乱衆行動などがあります。さらに、組織といっても密度や規模の点で大小さまざまなものを含んでいます。<br />
　なお、研究資料としては、記憶、記録、造形物資料を挙げることができます。普通の社会学研究が用いる資料とは異なって、観察資料に依存しません。というのは、現代日本での戦争社会学は日本が当事者となった過去の戦争を主な対象としますので、戦争の参与観察などできないからです。第二次大戦中、アメリカの社会学者がイタリア戦線に派遣されて、兵士の志気を高めるための研究をしたときには、観察も重要な研究資料収集の方法だったと思いますが、こういうことは現代日本では考慮の範囲に入りません。その代わりに、記憶資料、すなわち経験した人の記憶が資料として重要です。これは多くの場合、記録資料②③となって利用されます。記録資料には、関係者が事務処理過程で作成した①事務資料、経験が鮮明なうちに当事者が記録した②経験資料、当事者や関係者の口述を面接者が文章化した③面接資料、第三者が調査してその成果を記録した④調査資料などがあります。最後の造形物資料とは、戦争当時の軍関係の施設跡、戦跡、戦後建造の塔碑などがあり、戦後建造物は記録資料の一種⑤を含みます。<br />
　このような戦争社会学は、過去の戦争を主な研究対象とすることから、戦争の歴史社会学、戦争の社会史（過去の戦争の社会学的研究）とほぼ同義となります。ただし、研究の展開のなかで、この私案も修正に委ねられるべきことはいうまでもありません。</p>
<p>Ⅲ　当面の課題<br />
　誰しも重要と認める事項でありながら、単独ではできにくい課題も、共通の関心をもつ人たちが協力すればなし遂げることができる場合があります。研究会が設立されたということは、そういう条件、可能性がある程度成立したものと理解できます。会員の連携・協力によって達成されることが期待される事項を、当面の課題として挙げてみたい思います。<br />
１．文献目録の作成<br />
　これには少なくともつぎの二項があります。第一は、誰がどんな研究をし、どの分野がどの程度開拓されているかを知ることができる、分野別研究文献目録の作成です。将来、研究会として年報を刊行できることになったとき、是非掲載してほしいものです。第二は、既刊資料目録の作成です。私が戦争社会学領域の著書を二冊出したとき、既刊の遺書類を主な資料給源としましたが、遺書類だけでも当時すでに多数ありました。軍関係の学校史、部隊史、戦記・戦史、満蒙開拓団史、青年団史、愛国・国防婦人会史、在郷軍人史、その他戦争目的のために創られた団体史、などなど、汗牛充棟とはいかなくても随分の量ではないかと思われます。<br />
２．資料の発掘<br />
　これにも少なくともつぎの三項があります。第一は刊行されていない記録資料の発掘です。私が利用した遺書類のほとんどは既刊のものでしたが、本人自筆のものも少数発掘しました。篤志家の協力をえて未刊資料の発掘を志しても、戦後すでに60余年が過ぎた今では、労多く功の少ない作業ですから、これは運に委せるほかないことでしょう。もし運よく発見したとき、公共の場に引き出す努力をしていただきたいものです。第二は、刊行されたものの今ではほとんど手にすることのできない資料の発掘です。国立公文書館、防衛省防衛研究所図書室、公立図書館郷土史室などで発掘できるかもしれません。宝の山に狙いをつけて探れば、かなりの成功を収めることができるのではないでしょうか。第三は、記録になっていない口述史資料の発掘です。全国各地から社会各層にわたって信頼度の高い戦争体験談を掘り起こしたい。対象をコーホート別、性別、地域別、階層別に選定できれば申し分ないところです。</p>
<p>Ⅳ　緊急を要する研究課題<br />
　軍隊経験者（戦中派の生き残り）、戦争未亡人、空襲被災者（原爆被災者を含めて）、外地引揚者等に対する面接調査による生活史のライフコース分析が、緊急を要する課題と思われます。軍隊経験者についていえば、正規入隊者の最年少は1925年生まれの本年84歳、少年兵志願者の最年少でも1929年生まれの80歳に達します。これらの軍隊経験者は年ごとに少なくなっていきますし、面接調査に堪えうる余命はあと幾年かと考えますと、ここ数年で調査ができなくなるのではないか、との危惧の念を懐くものです。資料発掘の第三として指摘した事項のうち、最高齢者を対象とする面接調査を早期に実施する必要が大きいのではないでしょうか。</p>
<p><img class="alignright" src="http://scholars-net.com/ssw/archives/files/SN3E0109.JPG" alt="" width="314" height="235" />　最近、私の長年の友人がNPO法人「予科練の灯を守る会」を立ち上げて、自分たちの足跡に関する記録を残そうとしています。予科練の生き残りに面接調査をするさいには、この法人に連絡すれば都合がよいと思いますので、蛇足ながら言及しました。<br />
　戦争社会学の研究に面接調査が不可欠というわけではありません。私自身、元特攻隊員への面接や手紙での質疑はミニマムに止め、既刊資料でなんとか研究をまとめることができました。既刊資料は豊富にあるし、面接調査には途方もない時間と労力がかかる、という状況のなかでのやむをえない選択でした。しかし、口述史資料の発掘は現在および将来の研究に新しい資料を提供するという、拡大再生産的な意義をもっています。他者が掘り出した資料をいただいて研究をまとめるだけでなく、これまでになかった新しい資料を少しでも発掘して公の場に提供することは、学術的意義がある作業です。今や口述史資料の重要な部分が湮滅に帰そうとしているとき、その学術的意義はとりわけ大きいと考えるものです。戦争社会学研究会に寄せられる期待の一つは、湮滅に委ねられようとしている口述史資料を集合的努力によって掘り起こすことではないでしょうか。<br />
　本日の会合にはるばる沖縄から出席された石原昌家さんが、不戦のための証言として活用させていただくということで沖縄戦経験者に体験談を聞き取っても、戦争への跫音が高まる時代の勢いに抗することができない空しさ、話者の厚意に背いたような後ろめたさを感じるという、切実な思いを語られました。米国国防省の推計では、2000年度から2009年度までの10年間に、世界の軍事予算総額は約3倍に増えているそうですから、戦争への跫音の高まりを感じるのは、幻想でないことが明らかです。精出して口述史資料をいくら集積しても、戦争への傾斜を食い止めることはおろか、その流れに何らかの影響を与えることもできないという無力感に囚われます。では、口述史調査は無意味なのでしょうか。　私はそうは思わないのです。全く無力のようでも、戦時中の非人間的な体験を忘れないという、まさのそのことが大切だと考えるからです。沖縄戦についていえば、沖縄の方々が内地防衛の人柱にされたという悲惨きわまる事実を、具体的にしっかりと記憶に叩きこんで忘れないこと、そういう形ででも沖縄の方々の心に寄り添うことが、意味をもつと私には思われるからです。体力のいる生活史研究、口述史調査は高齢の私にはできかねますが、現役でご活躍の皆さんには機会があればぜひ心がけていただきたい、勝手ながらそうお願いして私のご挨拶を締めくくらせていただきます。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://scholars-net.com/ssw/archives/5/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

