第1回研究大会概要(1日目)

第一報告の坪田報告では、ある戦後補償訴訟の現場で、「和解」を取り持とうとした「良心的な日本人」がなしてしまう無防備な「加害性」について論じられた。具体的には、和解条項における「但し書き」の付与について、原告側日本人弁護団が原告に対して持ってしまった権力性についての検討である。興味深かったのは、表明された状況認識においては、原告と被告とはむしろ一致していたのにもかかわらず(つまりお互いにとって争点は明確であったのに)、弁護団のそれは一致しなかったということである。本報告は、「和解」の自己目的化がはまりこんでしまう陥穽を浮かび上がらせてくれた。
第二報告の粟津報告は、沖縄における遺骨収集の試みの現在を、モノとしての遺骨が張りめぐらす集合的記憶の孕む静かな(?)緊張において読み解こうとする試みであった。遺骨収集に関して、厚生省による「概了」表明後も続けられている市民主体の作業は、大文字の政治では回収することのできない、日常に根ざした善意による「(敵味方のない)人間的な」水準において行われている。モノとしての骨が作動させてしまう独特の水準だと思われるが、報告では、それを構成している様々な語りを、印象的な映像を交えながら浮かび上がらせてくれた。
第三報告の一ノ瀬報告では、戦死者遺児たちが靖国神社参拝に際して書いた作文集の文章を拾いながら、死の意味づけをめぐって揺れる戦後社会の一端が示された。端的にいって遺児たちの作文は、相当混乱しているようなのだが、それを丁寧に読み解くことが出来れば、戦後日本社会の戦争観についての検討に、新しい視角を付け加えることができるというのである。報告は、茨城県によって作成された昭和30年前後(1940年代末~1950年代)の刊行物が資料として紹介されたが、同様の試みが全国規模で想像できることが示唆され、今後の豊かな検討可能性が予見された。
当日は、第一回大会の初日ということもあり、「戦争社会学」と冠したこの研究会でどのような報告を聞くことが出来るか、それぞれの報告にどのような連関を見つけることができるか、司会者自身楽しみなところがあったが、多様な視点から非常に活発な質疑応答があり、今後の会の可能性を垣間見ることができたと思う。(野上元)