Robert Bellah Reader

9月 30, 2006 under 図書案内, 宗教学


「市民宗教論」、「徳川時代の宗教」、「心の習慣」などで有名なアメリカの宗教社会学者ロバート・ベラーのリーダーが出版された。
欧米の図書は、専門的なものであっても多くの場合ペーパーバック版が同時に発売されるので助かる。
Amazonでは15%オフだそうだ。
「市民宗教論」は、宗教社会学のみならず、関連諸学において(あるいは政治的にも)多くの議論を巻き起こした。
学史的にも無視できない業績だ。
そういえば、故ブライアン・ウィルソン先生に、生前、ベラーの印象を伺ったことがある。
「付き合いにくい人だ」と言っておられた。
ベラーは有名な禁欲的かつ規範主義的な学者であるからであろう。
ウィルソンはとてもワイン好きな先生でもあった。

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『アイ・ラブ・ルーシー』

9月 29, 2006 under TV

NHK-BSで再放送していたルシル・ボール主演の古いアメリカン・コメディ『アイ・ラブ・ルーシー』が終了した。
最近の楽しみのひとつであったのだが、残念だ。
概要は以下のサイトを。
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/lucy/
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/n-garage/lucy/ill-cast.html
白黒のTVシリーズで、もちろん生まれる前に放映されていたものだ。
40年以上も経って再放送されたことになる。
収録に観客を入れ、その笑い声を収めたものを放映するという手法がとられた最初のものだという。
ルシル・ボールは、歌って踊れてタップもお笑いもマイムできる、いわゆるボードビル・ベースのコメディアンヌだ。
アメリカが絶世期の頃、豊かさを象徴する古きよきアメリカン・コメディだ。
初見なのだが、なぜか懐かしい。
次週からは『奥様は魔女』だそうだ。

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ダウナー

9月 26, 2006 under 日記

昨夜、久生十蘭の「湖畔」や「海豹島」を読んで、そのイマジネーションの世界から抜けきらないままに、講義で旧ユーゴの民族浄化を映像資料などを元に扱った。
そのせいか、なんだかダウナーです。
そうとばかりも言っていられないので、明日からの講義の準備をしました。
これから少しアルコールを入れて、寝ます。

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『ロード・オブ・ウォー』

9月 24, 2006 under 映画


よかったです。
公開時にはあまり話題にならなかったような気がするが、前期は忙しかったから世間のことに疎かっただけかもしれない。
『ボーリング・フォー・コロンバイン』や『ホテル・ルワンダ』などとセットで観るとよいと思う。
実話に基づいているとかそんなことはともかく、ニコラス・ケイジの健在振りを観ることができる。
ニコラス・ケイジは大好きで、こういう役は彼のほかに演じられる俳優はいないと思う。
『コン・エア』や『ナショナル・トレジャー』などの、アメリカン・ヒーローのようになってしまったニコラス・ケイジは好きではない。
彼のよさは、「巻き込まれもの」が似合う点だ。
自分の力を超える巨大な状況に巻き込まれ、その状況の中でなんとか生き抜いてゆくパターンの物語だ(勝手に命名)。
『Honeymoon in Vegas 』や『Red Rock West』などは、(特に後者は)その中の傑作だと思う。
ちなみに『Honeymoon in Vegas 』のタイトル・ソング『viva!Las Vegas』はブルース・スプリングスティーンが歌っている。
今、AmazonのDVDで探したがどちらも見つからない。なんてえことだ!

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9月23日(土)

9月 24, 2006 under 日記

今日は実家で親父の日曜大工を手伝ってクローゼットを作成していました。
材料を買いに行った休日のホームセンターは混み混みでした。
さて、私事ですが、提出していた学位請求論文「近代日本と英国および米国における戦没者追悼施設の構成と変容:集合的記憶の宗教社会学」が審査、会議等を経て最終的に承認され、9月23日付で博士(社会学)の学位を頂きました。
この間、ご指導や調査をはじめさまざまな方々にお世話になりました。
大変ありがとうございました。
また、メールやメッセージを頂いた方々、ありがとうございます。
今後も、いっそうの精進をしてまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
学位授与式自体は3月ですので、念のため週明けには学位取得証明書を申請しようと思っております。(笑)

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統一行動

9月 23, 2006 under 時事・社会

『毎日新聞』(木村健二9月23日10時17分更新)によると、都立高校での式典に日の丸・君が代の強制を憲法違反とした先日の地裁判決にに対し、都教育庁は控訴する方針を固めたという。石原都知事は、この判決について、

「(裁判官は)都立高校の実態を見ているのかね。現場に行って見たほうがいい。乱れに乱れている」と疑問を呈し「子供たちの規律を取り戻すために、ある種の統一行動は必要。その一つが国歌、国旗に対する敬意だ」と指摘した。

規律を取り戻すために統一行動が必要という立場だ。
問題はいろいろあるが、単純な疑問だけを述べる。
やはり「規律」のために「統一行動」をとるのであれば、なぜその対象が「国家」でなければならないのだろうか。
先の地裁判決では、こうした学校儀礼が戦前の国家主義に利用された事実が問題点とされていた。
「日の丸・君が代」ではなく、「校旗・校歌」の掲揚と斉唱を起立して行えばよいのではないだろうか。
一足飛びに「国家」へ行ってしまうのはやはり発想が貧困である。
学校の規律が問題なのであれば、学校への帰属意識であればよいのではないだろうか。
その学校が嫌なら辞めることはできるし、自治体が嫌なら引っ越すこともできるだろうがが、国民であることをやめるのはなかなか難しい。
「日の丸・君が代」は国家的な場面のためにとっておけばよいのではなかろうか。
また個人が所属する中間団体やアソシエイションへの統一行動が、行きすぎ、ある意味カルト化してしまった時には調停者としての国家が必要となってくるだろう。
いきなり国家にしてしまっては、もしも国家がカルト化(国家主義化)してしまった時に調停する権力がなくなってしまう。

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「カルトの被害をどう食い止めるか」

9月 23, 2006 under 時事・社会

先日の学会で櫻井義秀氏(北大)とお会いし、お話した。
その際に、最近、公にされた次の雑誌記事を頂いた。
「カルトの被害をどう食い止めるか」(『中央公論』2006年10月号、142-149頁)

日本のメディアでは、7月の終わり頃、にわかに取り上げられ始めた教団「摂理」に関するものである。
「摂理」は通称でしかないことをはじめ、教祖や教義をはじめとする教団の概要を明らかにしたものだ。
教団の組織構造(どちらかといえば権威構造)と性的虐待の問題を社会学的に解明もしている。
一般向けに書かれているが、それでもメディアでとりあげられること自体の社会構築主義的な意味も、さりげなく指摘している。
そして、やはりこの文章の特長は、単なる分析にとどまらず、具体的な対策を明確にあげているところだ。
櫻井氏は、以前にも紹介した『「カルト」を問い直す』(中公新書ラクレ、2006年)の著者でもある。

「キャンパスはカルトの草刈り場」というよく使われる表現があるように、大学はカルトとされる教団が信者を獲得する勧誘の場でもある。
大学教員として、こうした現状に対応する必要がある。
同時に信教の自由は擁護しなければならず、宗教活動自体を禁止する訳にはいかない。
そうしたリスクを大学(ひいては現代社会)は引き受けなければならない。
このリスクを引き受けた場合に、では、われわれは何ができるのだろうか?
櫻井氏は、予防的オリエンテーションと宗教情報教育を提言している。
これは実際に氏が北大で実践していることでもある。
キャンパスにはカルトのダミーサークルが存在することを学生や父母にも明確に話す機会を設けることだ。
公式にそうした場を設けることだけでも大きな効果がある。
つまり、危険に関する情報を与えること。
そのことにつきるのかもしれない。
オウム事件以降、宗教学あるいは宗教社会学の研究者の態度には試行錯誤があった。
研究者の当事者性が問われ、中立は許されなくなった。
どことなく落ち着かなく、どっちの立場に立てばよいのか、着地点というか立脚点を失ったかのような状態が続いていた。
櫻井氏のこうした社会的発言(提言)は、研究者として(同時に教員、市民として)のひとつの在り方を明確に示すものである。
氏の提示した着地点には知識人としての責任の感覚がある。
あるいはそれは覚悟といってもよいかもしれない。

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『文庫版 陰摩羅鬼の瑕』

9月 20, 2006 under 読書


『塗り仏』までは新書版に付き合ったが、その後飽きがきて中断。
もう文庫待ちで。
若い読者たちには『匣』あたりで人気がでたらしいが、オレ的にはそれほどでもない。
シリーズでは『絡新婦』が一番出来がよかったと思う。

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