1998年5月5日の夢

5月 5, 1998 under 夢日記

夢日記
【第2回】
デッドマン・ウォーキング
Dead Man Walking

 

夢日記(1998年5月5日)

空港のロビーのような、妙に明るくよそよそしいところである。沢山の人が所在無さげに何かを待っている。おそらく飛行機の搭乗ゲートが開くのをまっているのだろう。いろいろな国籍の人がいる。だとするとやはりここは空港だ。その人々の中に俺もいた。俺と、仲間数人である。そして驚いたことに、俺は死んでいる。そのことをはっきりと自覚している。俺はすでに死体なのであった。ものすごい設定である。死んでしまっているという経験ははじめてである。

しかし死んでいるわりには意識も身体もあり、動きまわっている。感情的にもパニックに陥ったりはせず、冷静に、しっかりと運命を受け止めている。死んだ、という事以外は別に普通である。つまり幽霊のようなものではなく、いわばゾンビのような状態である。仲間の数人も同じ運命らしい。それにしても、何故だっ?

そこで「ぐわんっ」と、記憶がよみがえる。もちろん夢の中での記憶である。先ほどのレストランで毒を盛られてしまったらしいのだった。
周りには仲間が4人いた。俺達は皆同じ問題を抱えていた。それは、すでに死んでしまっているのでこのままでは身体が腐ってしまう、ということだった。しかし、その問題を、当面、回避する手段があった。俺はあと三日間ほど、こうして動き回ることができるのだ。そのことを知っていた。しかし何故そんな事が可能なのか?  

実はある金属製の笛を我々は持っており、誰か生きている人にそれを吹いてもらえば、その人の生命エネルギーの分だけ生きることができるのであった。キセルのような形状をしたその笛。表面にはびっしりと怪しげな模様が刻まれている。まるでマヤの絵文字のようだった。

仲間の中に、一人だけまだその笛を使っていない者がいた。顔色も悪い(死体だものな)。映画「マスク」のように緑色だ。彼の国籍はよく分からない。その姿は安定しておらず、スロット・マシーンのようにいろいろな知人に変って行く。金髪碧眼の西洋人のようにも見える。しかし、よく見るとそれは劇団員の山中氏だった。自分が死んでいることにまだ気づいていない。生から死への移行が、あまりにも滑らかだったせいらしい。一体どんな毒物を使ったのだろうか?笛を誰かに吹いてもらえ、と説得するが、信じようとしない。
「そんなの不条理だよぉ」などと言いながら、ぐらっ、とよろめく。どうやら足が言うことをきかないようだ。運動中枢も死んでいるからだ。
「ほら見ろ。俺達は死んでいるんだ。確実に腐ってゆきつつあるんだぞっ」
「でも……」
「確かに不条理だっ!しかし事実なんだっ!」
残る三人も一緒になって必死で説得する。早くしないと手遅れになってしまう。腐敗が始まれば、もうそれを止めることはできないらしかった。
ようやく事態を理解した山中氏のために、生きている人に笛を吹いてもらう。笛は吹いても音はしない。とするとやっぱり笛のように見えるがこれは笛ではないらしい。俺達は、山中氏のため(彼はもう自分では動けない)、空港ロビーにいる人々に次々とお願いしてゆく。しかし、なかなかよい結果を得られない。笛の表面にある複雑な模様は目盛りの役割もするらしく、どのくらい腐敗を止められるかを表示する。3時間とか半日とか、ひどいのになると30分なんていうのもあった。早くしなければ……。
次に傍らのオバサンに吹いてもらった。日本人だ。創価学会の婦人部、という感じの庶民的なオバサンだ。オバサンは最初はいぶかしんでいたが、何故か笛に興味をひかれたらしく吹いてくれた。なんだかとても楽しそうだ。そして笛の目盛りはなんと5日間を指している。すごいっ!さすが婦人部っ!みんな歓声を上げる。俺は自分が3日間だということを知っていたので少しうらやましい気がしたが、今はそんなことにこだわっている時ではない。与えられた3日間でなんとかするしかないのだ。なんとかする?何を?

相手の思惑通りにならないこと。それが俺達にできる唯一のことだった。訳の分からない巨大な力と戦わなくてはならない運命らしかった。誰かが我々の存在を邪魔だと思っている。だから殺そうと考えたのだ。相手の思惑を狂わせるために、俺達はこうして(笛を吹いてもらって)生き延び、かつ飛行機に乗るのをやめよう。 もう死んでしまっているのに「生き延びる」というのは矛盾しているのであるが、そうなのである。それが俺達にできるたったひとつの抵抗なのだ。しかし、「ここで戦うことが必要なんじゃないか」そう、主張する者がいた。山中氏だ。純情一本気な性格である。俺は、ここで騒ぎを起こすことはたやすい。しかしそれをぐっとこらえて長期的展望に立つのだ、などと説得する。……どのくらいの時間が経過したのかは分からないが、俺達は合意に達したらしい。

行動を起こさなくてはならない。まず飛行機に乗るのを止めるのである。仲間の一人が車を調達してきた。どうやら盗んで来たらしい。車に乗り込み外の世界へ走り出す。

赤茶けた、起伏の多い土地だった。小高い丘や細い山道が続く。赤土がむき出しになっている山の斜面に、しがみつくように緑が茂っている。本来的に乾燥した風土なのだろうか。南フランスのようにも、カリフォルニアのようにも思える。

車のスピードが落ちる。俺達は目的地に辿り着いたようだ。そこは 山のふもとにある町だか村だかの一角だった。住宅街が始まる手前にある一軒の店の前だ。外見は普通の、小奇麗な3LDKほどの建売住宅。平屋である。壁は白く、まだ新しい建物らしい。ひと気はなく、ドアも閉じられている。俺達は、ここを当分の間の隠れ家兼アジトにするつもりらしい。

ドライバーは静かに車を寄せる。素早く車から降りた俺は、腰をかがめながら家に近づく。まるで「スパイ大作戦」のようだ。なんとも古臭いたとえであるが、夢の中ではその古さに気がつかない。周りの気配を伺い、ドアを試す。カギがかかっている。家の側面に回り込み、部屋の窓を割る。窓の内側に白いレースのカーテンが密着していたため、たいした音はたたなかった。部屋に侵入する。

事務机や事務用品が目につく。簡単な作りの応接セット。高価なものではない。電話兼ファックス。人の住んでいる気配はない。どうやらここは店というよりも不動産屋の事務所らしい。 仲間たちが入れるようにドアのカギを開けておく。彼らは車をどこか人目につかないところに隠した後に、ここへ来るはずだ。

次の部屋を抜けると、その先に裏庭に続く窓が見える。俺はそこから景色を眺める。

そこは坂のある土地だった。

何故か、この坂をあの頂きへ向かって上っていかなければならないことに気づく。
それはどうしても為されなければならないことなのであった。

周りを見ると仲間たちもどうやらこの家(不動産屋)への侵入に成功したようだ。 基本的にいい人であることを知っているので、彼らがどじを踏まないか心配である。しかし俺はどうしてもこの坂を登っていかなければならないようだった。

仲間たちも
そのことを理解しているようだ。
一瞬目を合わせ、小さくうなずき合うと、俺は外へ出た。
道は土を突き固めただけのもので、車が通るのか轍ができている。
道の左側は川が流れ、右側には住宅がならんでいる。
それがはるか彼方の山の頂きまでずっと続いているのであった。

川の水は、もとはきれいな渓流だったものが、温泉などのミネラル分と乱開発によって汚れてしまっている。水量もない。黒や海老茶色に染まった沈殿物がむき出しになって、ところどころで干からびている。、苔だか、ミネラルだか、ヘドロだか分からない。きっとそれらの混合物であろう。しかし悪臭はない。夢の世界には不思議と臭覚がない。住宅に住む人間に不審がられないように、何食わぬ顔をして歩いて行く。すると、俺の目は二軒先の家の家に人影を認めた。自宅の中庭へ出てきた老婦人である。白人だ。金髪は白髪に近くなり、眼鏡をかけている。蝋人形や一昔前のハリウッドの特殊メイクのように、顔のシワが妙にはっきりとしている。一番上に青いカーディガンを羽織っている。もう、そろりそろりとしか動けないのだ。七十は越えているだろう。80代かも知れない。一瞬目が合う。しかし熟練の博打うちのそれのように、私の表情からは何も読み取られないはずだ。

大分歩いた。
振り返ると、侵入した家はもう遥か下方に小さく見えるだけだ。そしてなだらかな坂がずっと続いている。この山の頂きには古代遺跡のようなデパートがあるのである。デパート?何故俺はそんなことを知っているのだっ?

「ぐわんっ。ぐわんっ」と、また夢の中で記憶が蘇る。「ここには何度も来たことがあるっ!」そう。ここは何度も来た覚えののある夢世界だった。

山の頂きには遺跡のような建造物があった。巨大な石室のようだ。厚い岩でできている。床の小石を踏んだ時の、乾いた硬いもの同士がこすれ合うざらざらした感触まで、その粒のひとつひとつまでもが克明に記憶に刻まれている。天井の岩に四角く切り取られた出入り口から上の階へ行くことができる。 上の階はデパートの洋品売り場だ。大分明るい。床はリノリウム張りになっている。四角いリノリウム・タイルを敷き詰めたやつだ。 マネキンの立つ売り場などがならんでいる。今となっては古臭い。垢抜けないデパートだ。店員も退屈そうである。それともさびしいのか。客はほとんどいない。倦怠感は閉店時間が近いのであろう。70年代とおぼしき雰囲気が漂っていた。

エスカレーターがその上の階へと続いている。これは正面のエスカレーターだ、と思う。回り込み、他のエスカレーターを使う。他にもあるはずである。かなり規模の大きなデパートだ。 側面に当たる(昇降の方向が先ほどのものとは異なる)エスカレータを上って行く。 角度がゆるやかで、その分ひとつの階を上るために必要な距離が長い。俺はエスカレーターを上がって行く。そして階を上がる毎に、その雰囲気は70年代、80年代と続いていくのである。このデパート全体が、ものすごく不安定で、とってつけたようである。相互に何の脈絡も関連性もない。

事実を噛み締めるように俺は理解した。ここでは文明が地層のように積み重なっているのである。 まず考古学的な古層の文明があり、その上に近代文明が築き上げられている。 そしてそれらはけっして自発的な発展を遂げたものではなく、歪んでいた。自生的な近代化ではなくアンバランスに文明が入り込んでいる。

「ぐわわぁんっ。しゅぴんっ!」

と、夢の中で回想から引き戻される。 俺は再び乾いた坂道に立っていた。道は土を突き固めただけのもので、車が通るのか轍ができている。 左手には汚れた川があり、右手には住宅。先ほどの場所だ。しかし、ここがどこであるのかを思い出したのでもうこの坂を登る必要はなくなったのだ。

夢の世界の雰囲気は緊迫している。残してきた仲間たちには、今や危機が迫っていた。あの老婦人がこの世界の警察に通報したのである。建物から物音や会話が漏れてしまっていた。

カン。カン。カン。カン。カン。カン。カン。

と、まるで警報機のように夢の世界の緊迫感は高まっていく。俺は走り始めた。すでに警官隊は用意周到に不動産屋を取り囲んでしまっている。彼らはハリウッド映画に出てくるやたら発砲する警官隊で、青い制服を着ている。それらのことが、一種の必然として、手に取るように理解できてしまうのであった。

俺は走りつづけている。呼吸も荒く、胸が苦しい。走りながら、きっと俺達は撃たれても平気なのだろうなあ、すでに死んでしまっているんだもんなあ、などと思う。しかし撃たれても死ねない、ってのはとてつもなく嫌な経験なのではないだろうか……。これからタランティーノばりのバイオレンス・アクションが始まるのだろう事は分かっていた。仲間たちは大丈夫だろうか?何か武器になるようなものがあの不動産屋にあるのだろうか?悲劇が始まってしまう前に俺は間に合うのだろうか?俺は必死に走りつづけた。焦燥感に身体の内側を焼かれながら走りつづける。そして痛いほどの尿意によって俺は夢の途中で目が覚めてしまった。寝汗をびっしょりとかいていた。

 

 

【解説】

 

 自分を含めた友人たちがゾンビ化しているという、一見すると非常にエキセントリックな夢のようであるが、何故こんな夢を見たのかは割と説明しやすい。これらは基本的には昼間の「残滓」であるからだ。

 この夢を見た日、エセックス大学社会学部ではマスター・ディサテーション・デイというものがあった。これは修士論文提出予定者たちによって行われる研究発表大会である。いくつものセッションに分かれて、午前と午後の部が行われる。記念撮影もあったらしい。俺は修士論文の対象者ではなかったが、午後から参加した。

 その晩、学部主催で、一種の打ち上げ、というか懇親会が催された。最初にパブへ行き、その後インド料理のレストランへ参加者は招かれた。もちろん費用は学部持ちである。楽しいひとときを過ごした。

 学生たちの年齢もまちまちで、日本に比べれば圧倒的に高い。海外からの留学生も多い。そうした学友たちと語らっているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。すでにバスもなくなり、帰りは、20人ぐらいで夜道を歩いて帰った。歩いて20分ほどの距離であったし、酒も入っていたので寒さは気にならなかった。

 歩きながら、歌い、笑い、叫び、ジョークを言い、議論し、財布に入っている子供の写真を見せる。

 イギリスの修士課程は一年間である。つまりこの論文が終われば、みなそれぞれの国に帰って行くのだ。そして、どこの国でも、大学などの研究機関に職を見つけるのは簡単ではない。

 歩きながら、ふと、俺はみなが戦友であるかのような気がした。国籍も様々な混成部隊。派遣された戦地で、夜の町に酒を飲みにでも出かけているかのような気がしたのだった。

 その夜みた夢が今回の夢である。この日の出来事によって喚起された感情・情動が、夢の中で象徴化されている。死人であるということは文系大学院生の社会的な弱さ。期限が限られていることからもそれが理解できる。劇団員の山中氏も出てきているが、小劇場の役者の大変さ、社会的な弱さとも一脈通じるところがある。そうした今現在の俺たちの立場は、文明をはじめとするより大きなシステムによって構成されているのである。敵は分からない。システムそのものなのかもしれない。巨大遺跡のようなデパートはそれを象徴している。どこか歪んでいるのだが、それを修正しようとすると、土台から崩れてしまいそうだ。現代文明批判にもなっていて興味深い話ではある。ただ、夢の中で思い出したように、そこは何度も行ったことがあるお馴染みの夢世界らしい。

 それから、以前に観たタランティーノの『フロム・ダスク・ティル・ドーン』の影響が見られる。これはバンパイアーもので、このタイプの話が持つ意味については別の機会に検討したい。いずれにしても、この後の展開と話の結末がどうなったのか気にかかるところであるが、それは今後の俺たちの人生で、次第に判明して行くのであろう。

 

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