西条八十「帽子」

5月 3, 2010 under 日記

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

comments: 2 »

2 Responses to "西条八十「帽子」"

  • 金子一穂 より:

     「人間の証明」の冒頭に出てくるこの詩ね。もうなくなった「赤プリ」を見てジョー山中が「ストウハ」という言葉を最後に死んでしまう。そこから物語が始まったと思うけど。確か映画の中で「日本のキスミー」というのもあったかと。「ストウハ」が「ストローハット」、「キスミー」が「霧積」という謎解きがあって、いい映画だったし、小説も楽しかった。
     それから、この「詩」を読んで、実際に「あの夏、薄井から霧積へ行く道」というのに行ってみたくなり、東京から中山道を通って「碓氷峠」へ。その頃、凝っていた自転車で行ったなあ。今や「よき思い出」になってしまったが。登りはずいぶんと自転車を降りて押して行った憶えがある。
     その頃は自転車のツーリングする者同士、出会えば右手を挙げて挨拶していたし、バイクも同じようにVサインを出してくれたっけ。今やそういう習慣もなくなってしまったようで、たまにオンボロになったレーサー引っ張り出して、そういう挨拶しても誰も返してくれなくなったなぁ。淋しいけど現実はそうなってしまった。いつかまたここへは行ってみたいな。

  • 工藤俊作 より:

    赤プリではありません。
    ニューオータニです。

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