ハイサイおじさんといくつかの偶然

6月 21, 2009 under 調査・研究

沖縄入りしている。
初日、朝から聞き取り調査を行い、二日目からは遺骨収集、納骨式、ガマの調査に参加した。
現地では、長らく会いたいと思っていたが、これまで会う機会がなかった北村毅氏(早稲田大学高等研究所准教授)とお会いすることができた。
彼は、気鋭の沖縄研究者で、秀逸な論文を積み重ねている。
来月には単著が出版される予定だ。
さて、今日は、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の主催する、市民による遺骨収集の現地報告会の後、夕方から、那覇市民会館へ行った。
「社会的弱者救済の為のチャリティーコンサート」があったからだ。
コンサートを主催しているのはNPO法人プロミスキーパーズである。
このNPOはホームレスの社会復帰支援を行っている団体で、発祥はキリスト教会である。
現在、遺骨調査に参加しているガマフヤーと、那覇市との協賛で、遺骨収集をホームレス支援に結びつける活動にも加わっている。
その関係で前売り券を購入した。
オレが入ったのは、前座の最後の演者である上原令子の力強いゴスペルの後半だった。
彼女の歌う「勝利者」は、これがホームレス支援のコンサートだという文脈で聴くと、この上なく大きな応援歌であったろう。
メインは喜納昌吉とチャンプルーズだ。
生で聴く喜納の歌はすごかった。
彼は元オウム信者であったらしいが、彼の歌には、「やっぱチャクラが開いてんぢゃねーの?!」と思わせる迫力があった。
オウム真理教が急激に成長した時代の、人の心をつかんだ最良の部分が、彼の歌には今も息づいているのかもしれない。
さて、彼のヒット曲、「ハイサイおじさん」もすごかった。
やはりウチナー相手に歌われていたからかもしれない。
小学生の頃、本土でも流行った「ハイサイおじさん」を聞いたことのある方も多いだろう。
あるいはビートたけしの深夜放送のエンディングにも使われていたことを覚えているかもしれない。
志村けんの「変なおじさん」はこの歌のパロディだ。
聞いたことのない方は、Youtubeででも一度お聴きください。
さて、この「ハイサイおじさん」という歌は、喜納昌吉が中学生の頃の体験を元に作られた歌だという。
近所にアル中のオジサンがいて、いつもふらふらしている。
交通事故にあったりしながらも、近所を彷徨っていて、彼の家にも泡盛をもらいによく来たという。
そのおじさんを題材とした歌だ。
歌詞の内容はこどもがおじさんをからかっている、という掛け合いのように作られている。
陽気で、楽しいリズムの歌だ。
この歌がアル中のオジサンを題材にした歌だということはかなり以前から知っていた。
オレが学生の頃に住んでいたアパートは、オレ以外、みな沖縄県人であった。
同郷の彼らは仲が良く、他の場所に住んでいる友人たちもひっきりなしにやってくるので、オレもそうしたコミュニティの中で学生時代を過ごした。
言ってみれば、「いちゃりばちょーでー(一度出逢ったら皆兄弟)」な雰囲気の中で学生時代を過ごしたのである。
彼らのほとんどは現在、沖縄に帰っているので、先輩やら、同期やら、後輩やらで、かなりウチナーの知り合いが多い。
ともかくも、その頃に、あの歌が、単なるコミックソングではないことを告げられていた。
この歌の背景には次のようなある事件がある。
共同通信のWEB http://ch-k.kyodo.co.jp/17kyodo/backnumber/backnumber2001/job/job22.htmlでも紹介されていたらしいが、現在はアクセスできないので、他のブログからクリップしておく。(引用元http://plaza.rakuten.co.jp/urakiwamail/diary/200506050000/

喜納昌吉(51)は中学生の時、忘れられない事件に遭遇する。
 精神に異常を来した近所の母親が、七つの娘の頭をまな板に乗せ、おので首を切り落としてしまった。
 「女の子が毛布に包まれて横たわっている。その子の父親が『なぜこの子の足は冷たいの。おかしいよ』と毛布を取ったら首が無い。父親は魂を落としたような顔で、しばらく言葉を失った」
 最初の作品「ハイサイおじさん」は、これを契機に生まれた。まだ高校生だった。
< 「戦後、家を失ったり精神的におかしくなった女性がたくさんいた。事件の家の父親もそんな女性を家に連れ込むから夫婦げんかばかり」。母親の狂気の原因をたどると沖縄戦にたどり着く。>
 ・・・この父親は事件後、酒におぼれた。
 喜納の家に毎日泡盛を求めに来た。
 「顔を出すと僕に向かって古い民謡を歌う。ハイサイ(こんにちは)と声を掛けて僕も酒をあげる。それを繰り返しているうちに歌を作ってあげようね、と急に思った。ダンダダンダダンとリズムが生まれてきて」。不思議な感動だった。

この父親は、戦前は校長先生をしていた、地元では優秀な人間として知られていたという。
そういえば最近、この歌についてのコメントをどこかで読んだな~と思っていたら、それは北村氏のWEBでのコメントだった。
記憶され、語られる「戦争」をフィールドワークする

例えば、沖縄出身の音楽家、喜納昌吉さんの代表曲に「ハイサイおじさん」という歌があります。この歌には、実在のモデルがいて、沖縄戦を生き残った人でしたが、戦後はいつもお酒を飲んで暮らしていたみたいです。喜納さんは、そのおじさんの戦争と戦後の心の痛みを引き受けた上で、この歌を作ったらしい。ただ聞くと脳天気に明るいこの歌には、いつまでも続く「戦争」という通奏低音が流れているのです。

20万を超える死者を出した沖縄戦の戦後こそが、現在問われている。
戦場となった島の住人達には何のメンタルケアもされてはこなかったのだ。
その社会的なトラウマを、意識のある研究者は捉えようとしている。
沖縄の遺骨収集とハイサイおじさんと北村氏。
学生時代の頃を思い返しながら、不思議な偶然を感じてならない。
さらにいえば今、抱えている原稿もトラウマに関するものだ・・・・。帰ったらやります。
今日で調査の前半は終了し、明日から後半の調査に突入する。

comments: 1 »

One Response to "ハイサイおじさんといくつかの偶然"

  • Wikipedia より:

    おじさんの妻の精神異常の原因は戦争ではなく、夫(おじさん)の放蕩

    おじさんが元教諭というのも虚偽

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