偽善者でもいい

12月 10, 2006 under 日記

先日、出講先のキャンパスで募金を呼びかけている学生がいた。
慶應の学生がインドで行方不明であるという。
詳細についてはこちら
日本のメディアでも取り上げられたらしいが、知らなかった。
やはり日本のメディアの取り上げ方は小さい。
インドの新聞とは比べ物にならないぐらいだ。
事情を聞いて、とりあえず少ないながらも募金に協力させていただいた。
非常勤講師の薄給の何十分の一かは、学生たちの授業料なのだろうし、少しは還元してもいいのだ。
若い頃は募金などをみると、いかにも偽善らしくて嫌だった。
しかし、数年前あたりから、気軽に協力するようになった。
もちろん歳のせいもあるだろう。
また、留学にしろ、調査にしろ、やはり多くの人の善意に支えられてこれまで研究できてきたのだということを自覚したのかもしれない。
そして、ある程度生きてくると、「真の善人になどなれない」ということを達観するのかもしれない。
自分が善人になるまで待っていたら、いつになるやら分からないが、とりあえず今、困っている人がいるという事実がある、ということに気づいたのである。
オレが善人になるまで世界は待ってはくれないのだ。
だから、まあ、偽善でもいいや、とか思えるようになったのである。
偽善だろうがなんだろうが、必要な人にはお金は必要なのである。
よく、TVなどでベンチャー企業の社長が「美味いうどん(あるいはそば)を食べに自家用飛行機で飛んで行く」などという自慢話を流していたりする。
それを感嘆の声で讃える太鼓もちのお笑い芸人などがいて、本当に観るに耐えない(すぐにチャンネルを変えるのだが)。
おそらく、その燃料代だけで、きっとポリオなど撲滅できるんぢゃないかと思う。
金を稼ぐのはいいけれど、持てる者は少しは弱者のために基金を作ったり寄付をしたり募金をしたりという発想がこの国にはないのか、と思う。
米国は、いろいろと批判もあるが、本当の金持ちは社会に多大な寄付をしている。
シカゴ大学だってロックフェラーが作ったのだ。
ホリエモンとか村上とか、あるいは続々と逮捕されている県知事や市長たち。
彼らには決定的に何かが欠けている。
偽善者にすらなれなかったのかもしれない。

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